2010年10月20日水曜日

印旛とくべつしえんがっこう

「あそこには障害児が二人いるからけっこう大変なんだけど、
 がんばってね」

1年半前、ふとしたことから学童保育で働くことになって、面接に行った時の
保育士さんの言葉。

「ショーガイジ?!」

正直、わたしみたいなど素人がそんな大変なところに行って
大丈夫なわけ???と戸惑いました。



その時わたしの中で‘障害児’といえば、日常的なことすらままならない
介助の必要な子というイメージしかなく。


でもそこにいたのは重度の知的障害や肢体不自由な子たちではなく、
見た目はなんら普通児と変わらない、
発達障害の子どもたちでした。


集団行動ができない。

避難訓練をしても、一人動かずもくもくと絵を描き続ける子・・・
運動会のリレーで、バトンを受け取ったとたん、逆方向にダッシュしてしまう子・・・


怒りを抑えられない。

お友達に暴力をしてしまうのを押さえつけられると、
外に飛び出して、傘で生垣の花を力いっぱい叩き落とし続ける子・・・
コンパスの針を、ザクザクとケースに刺し続ける子・・・・
ガルルルル~ガルルル~と呻きながらのたうちまわっている子・・・・


突然後ろから背中を思い切り蹴られたり、

「石田きもいんだよ、死ね。早く墓場に入れ」
などの暴言・・・・
でもさんざん言い尽くせば、「石ちゃんごめんね、ごめんね。」
と甘えてくる。





すべての人は、自分の鏡。


だとすれば、
この子達はみんな私の鏡なんだ・・・・・・・と、


いつも胸が潰されそうになりながらも、

愛しくて愛しくてたまらない思いが込み上げてくる。


健常児のこどもたちも、どの子ももちろんとってもかわいい。

でも普通の人が想像できないほどの、困難さと混沌の中に生きていながら
この子達の放つ、透き通るような輝き。

わたしはもう、すっかりその虜になってしまいました。



この子たちのことをもっと知りたい!
どうしてそういうことをするのか、理解したい!
どうしたらこの子達を支援できるのか、学びたい!


そうして、図書館でたくさん本を借りてきて読んだり、
研修会に参加していくにつれ、彼らのことを理解していくのは
つまり、やはり、自分自身のことを理解していくことと
まったく同じだったことに気づきました。


大人というけれど、
親というけれど、
先生というけれど、


いったい'大人’な私たちは、
どれだけ自分自身のことを知っているんだろう?

どれだけ生きることの本当の意味や、真理や、いろんな感情について、
自分の人生について、命について知っているんだろう?



もっともっと、彼らのこと=わたしのことを知りたくて、
きちんと資格を取って、仕事をしてみたい、と思うようになりました。


残念ながら保育士の国家試験は今年は落ちてしまいました・・・・が、
来年また再チャレンジ!

それまではボランティアで、何かできればと、講習会を受けて、
実践研修に印旛特別支援学校へ。


特別支援学校というのは、ちょっと前までは「養護学校」と呼ばれていた
学校です。


さすがに前日は緊張してあまり寝られなかった・・・・
でも着いてしまえば、子どもたちの中に入ってしまえば、もう大丈夫。
初回ということで学校も考慮してくれたのか、高等部の生徒会長がいる
クラスで、本当に介助が必要な子はダウン症の子一人で、
あとは自力通学しているような子ばかりの教室でした。

ちょうど文化祭前ということもあり、朝の1時間目の体育(3週走った・・・・
先生方はやはり体力すごい!)の後は、一日、文化祭の準備。

わたしは「紙工班」で、緘黙(かんもく)の高1の男の子S君の補佐に。

紙工班は、牛乳パックの紙を再生して、新たに紙をつくる一連の作業を
手分けしてやっていました。
(すごい!)

S君は、ドロドロになった牛乳パックの紙を、2つのジューサーミキサーに入れて、
スイッチをいれ、1分のタイマーをセットして、ピッピッピと鳴ったら
中のものを、ざるにあける。
という一通りの作業をします。
手順はぜんぶわかっているので、わたしは補佐というほどのことは
しないのですが、
S君、緘黙なので、いっさい言葉は発しません。

ただ、ひとつの作業をするごとに、クルンと一周からだを回転させたり、
両手で指をならすような形にして、いろんなところ(壁や床や
柱など)をタッチしたり、
トントン、トントン、と蛇口を閉めた後、蛇口に「おつかれさま」
とでも言っているように指先でかるーくいろんなところをタッチ
します。

さいしょは「へ??」と思い、じっと見ていましたが、
そのクルン、チョンチョン、トントン、の動きを、とても楽しそうに、
ニコニコしながら、優雅に、するんです。

もうそこだけ、S君のまわりだけまるで別世界。

ひとつの作業をするごとに、クルン、チョンチョン、トントンを
繰り返すので、1分ジューサーを回すだけのことも、けっこうな
時間がかかります。

しかも大人にかまって欲しくて、ちょっと違うことをやってみたり、
人のことをちょっかい出す振りをしたりするので、さらに
進みません。

でも注意を受けると、またうれしそうに、ニコっと笑って、
作業に戻ります。


S君がニコニコしていると、わたしもとっても幸せな気持ちになりました。

S君は、チョンチョン、トントンしながら、まるで自分の周りの
すべてのもの(どんな無機物でも)と交信して、調和しているような、
そんな感じがしたのです。


でもS君のお母さんからの連絡帳には、
「いけないことをしたら、もっと厳しくしかってください。」
と記載されていて、先生たちは「困ったなぁ、厳しくしても意味ないよ・・・」
とおっしゃっていて、
障害を持つお子さんを育てる、親御さんの苦労という現実と
先生たちの思いとの軋轢のようなものも・・・


さすがに先生たちも、普通の学校の先生とは違って、
厳しいながらもおおらかさを兼ね備えていらっしゃり、
この中で学習できる子どもたちと、困難を抱えながら普通学校で学習することでは
子どもの感じるストレスや如何に・・・・とまた思いました。


1日を終えて、さようならの挨拶の時、
高校3年生の女の子Eちゃんが、わたしの袖を無言で引っ張っていました。
何か言いたそうなんだけど、モジモジしていて、何も言い出せないでいると
担任の先生が
「Eさん、それはおかしいですよ。何かいいたいことがあるなら
 石田さんにきちんと伝えないと、伝わらないのよ」というと
「また来てください」
と言ってくれました。


コミュニケーションをとることの困難さを感じているのは、きっと
この子だけじゃない・・・。
わたしのほうが、よっぽども下手かもしれない・・・



障害があろうと、なかろうと、

多かれ少なかれ、わたしたちはみんな、いびつな存在で。

みんな、いびつなりに必死に生きているんだなぁと。


子どもたちに本当にたくさんのことを教えてもらいます。

2 件のコメント:

  1. 偉いな~。資格と経験のある私は、どうしましょう?

    何しろ、この仕事は、体力が要るから。。。
    現役は、きつい(汗) う~ん。。。

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  2. ほんと、気力と体力が必要そうですよね・・・・

    わたしもとてもとても自信ありません。。


    でもその分いろんなものを受け取ったりもらえたり。

    そんな気がします

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