でっかいお腹でよっこらしょっと、ネギの草刈りをしていたら
ふと目の前に、これまた横綱級のでっかいお腹のカエルさん。
「あらーお互いでかい腹で大変ですね、カエルさん」
いつもの通り、ひとりごとのように、話しかけてみる。
しかし立派なお腹ですねぇ、今にもはちきれそう。
私は一人しか入ってないけど、カエルさんは何個の卵が入ってるのかな・・・
なんとなくまじまじと見つめていると、妊婦カエルさんも
じーーーーーーっと私の顔を見ている。
・・・・・・・・
じーーーーーーーーっ
あんまり動かず見つめるもんで、試しに、ツンツンしてみたけど、
やっぱりじーーーーーーっと見ている。。
こんなにカエルさんと見つめ合うのは初めてかも。
なんだか目がそらせなくて、やっぱりじーーーーーっと見つめ合っていると・・・
カエルさんの声が聞こえた。
「ねーえ、あなたもお腹に赤ちゃんがいるし、わたしにもお腹に赤ちゃんがいる。
この地球の未来は、あなたのその赤ちゃんのためにあり、
そしてわたしのこの赤ちゃんたちのためにも、あるのよ。
そのことを、忘れないで欲しいの。
そしてあなたには、そのことを、あなたの仲間たちにも
どうか伝えてほしいの」
・・・・・・うん、わかった。
忘れないよ。
あなたの写真を撮りたいから、カメラ取ってくるまで待ってて。
カメラを向けたら、さすがにお腹を隠されちゃった。
妊婦さんのお腹を撮るなんて、デリカシーなさすぎね、ごめんなさい。
もうカエルさんの声は聞こえず、気づいたら、ピョコーン、ピョコーンと向こうに
行ってしまった。
大根の花が、咲き誇っていた、ある春の日のことでした。
2012年5月14日月曜日
2011年4月27日水曜日
アロエちゃん 非常事態宣言?
いまの日本社会、経済至上主義、ぐろーばりぜーしょんへの
アンチテーゼであり、
唯一のほんとうに環境に負荷をかけず、自然と調和して
人として生きていける道と確信した
「自然農」という選択、そしてそれを実践すること。
そして社会をどうこう言う前に、まず自分自身を見つめ、
浄化すること。
ただそれこそが自分にとっての平和活動であり、環境運動であり、
生きかただと思って日々生活していました。
何が起こっても、ただそれは「起こっていること」。
常に動揺せず、ぶれることなく、ただ生を全うする。
ヨーガとしての生きかた。
それでいいと思っていました。
でも・・・・・・・・・
「日々お金儲けに一生懸命な人たちは、昼夜問わず、
寝食もそこそこに必死にがんばっています。
その反対に、平和を願う人たちや、環境問題に意識を向けている
人たちは、ただ静かに、なんとなく、思っている人が大半です。
その比率でいえば、後者のほうが、おそらく圧倒的に多いのですが、
その‘がんばり度’にあまりにも差があるので、
世界は前者にひっぱられています。
だからこそ、後者の人たちが、ほんの少しでもいいから、
もう少し大きな声で、それぞれの想いを伝え合っていけば
世界はもっといいほうに、変わっていくのではないのでしょうか?」
これは地球村の高木さんが仰ったということを、先日
Natural Studioのマキさんから伺いました。
(文面はわたしの解釈ですが・・・)
そうだよなーーーー、たしかにそうだよなぁ!
とほんとうに思いました。
そして今こそ、ほんのちょっとでもいいから、みんなの声の
ボリュームを上げるとき。ですよね。
自然農や和みのヨーガに出会う前まで、
私はほんとうに批判的な人間でした。
批判的な人間が往々にしてそうなように、ただ何もかもが批判の対象
になりますが、批判しているだけで何もやりません。
批判することに自分を消耗していき、とても疲れて、余計に
いらいらして、批判する気持ちがどんどん膨れ上がっていきます。
今の社会や世界の情勢を知れば、危機感を持つのは当然でしたが、
それをどうしたらいいのか全くわかりませんでした。
そして結局、批判することの無意味さ。
批判は破壊だけして何も創造しない、無力さに気付かされ、
生きかたの変換を余儀なくされた・・・・。
そして今、私個人としてはほんとうにありがたいくらい
毎日幸せな生活を送っています。
でももし仮に、こどもができて、その子ども、孫の孫の時代に
なったとき、もうその時代には、完全に地球は汚染されきって、
自然は破壊され、暴力が充満し、指が6本7本あるのは当たり前なんて
いう世界になっているかもしれない。
でも反対に、地球の汚染は食い止められ、今よりももっと自然が
復活しているかもしれない。
どちらに行くかは、今生きている私たちにかかっている。
そのためには、ただ幸せを享受して、平和呆けしている場合では
ないのではないかと、またあらためて思いました。
ただ畑にいるとき、お風呂に入っているとき、
ふと、地球と自分はひとつなんだと感じました・・・・・
そしてみんなとつながっていて、たぶんみんなひとつです・・・・
自分を愛しているので、みんなも地球も愛おしい。
自分のできることを、孫の孫の世代にまで、
この地球が美しくあるように。
遅ればせながら・・・・・・
ようやく、
あえて非常事態宣言。
神様は今回、日本を選びました。
わたしたち日本人を今、選びました。
私たちは、選ばれました。
世界を地球を美しく調和させる力があるよ、と。
日本語にはその昔、
「私」
「自然」
という言葉はありませんでした。いずれも外国語の
翻訳としてできたといわれています。
すべてが渾然一体で、調和した民族でした。
それが日本人なんだと思います。
下記の署名は4月30日まで期限が延びました。
どうぞ情報による判断ではなく、
自分の胸に答えを聞いてください。
日本人の私たちはきっとよい方に動いていきます。
そして私はやはりひたすら自然農と自己浄化をおこないます。
どんなに小さなエネルギーでも、ゼロと1では違うということを
信じて。
アンチテーゼであり、
唯一のほんとうに環境に負荷をかけず、自然と調和して
人として生きていける道と確信した
「自然農」という選択、そしてそれを実践すること。
そして社会をどうこう言う前に、まず自分自身を見つめ、
浄化すること。
ただそれこそが自分にとっての平和活動であり、環境運動であり、
生きかただと思って日々生活していました。
何が起こっても、ただそれは「起こっていること」。
常に動揺せず、ぶれることなく、ただ生を全うする。
ヨーガとしての生きかた。
それでいいと思っていました。
でも・・・・・・・・・
「日々お金儲けに一生懸命な人たちは、昼夜問わず、
寝食もそこそこに必死にがんばっています。
その反対に、平和を願う人たちや、環境問題に意識を向けている
人たちは、ただ静かに、なんとなく、思っている人が大半です。
その比率でいえば、後者のほうが、おそらく圧倒的に多いのですが、
その‘がんばり度’にあまりにも差があるので、
世界は前者にひっぱられています。
だからこそ、後者の人たちが、ほんの少しでもいいから、
もう少し大きな声で、それぞれの想いを伝え合っていけば
世界はもっといいほうに、変わっていくのではないのでしょうか?」
これは地球村の高木さんが仰ったということを、先日
Natural Studioのマキさんから伺いました。
(文面はわたしの解釈ですが・・・)
そうだよなーーーー、たしかにそうだよなぁ!
とほんとうに思いました。
そして今こそ、ほんのちょっとでもいいから、みんなの声の
ボリュームを上げるとき。ですよね。
自然農や和みのヨーガに出会う前まで、
私はほんとうに批判的な人間でした。
批判的な人間が往々にしてそうなように、ただ何もかもが批判の対象
になりますが、批判しているだけで何もやりません。
批判することに自分を消耗していき、とても疲れて、余計に
いらいらして、批判する気持ちがどんどん膨れ上がっていきます。
今の社会や世界の情勢を知れば、危機感を持つのは当然でしたが、
それをどうしたらいいのか全くわかりませんでした。
そして結局、批判することの無意味さ。
批判は破壊だけして何も創造しない、無力さに気付かされ、
生きかたの変換を余儀なくされた・・・・。
そして今、私個人としてはほんとうにありがたいくらい
毎日幸せな生活を送っています。
でももし仮に、こどもができて、その子ども、孫の孫の時代に
なったとき、もうその時代には、完全に地球は汚染されきって、
自然は破壊され、暴力が充満し、指が6本7本あるのは当たり前なんて
いう世界になっているかもしれない。
でも反対に、地球の汚染は食い止められ、今よりももっと自然が
復活しているかもしれない。
どちらに行くかは、今生きている私たちにかかっている。
そのためには、ただ幸せを享受して、平和呆けしている場合では
ないのではないかと、またあらためて思いました。
ただ畑にいるとき、お風呂に入っているとき、
ふと、地球と自分はひとつなんだと感じました・・・・・
そしてみんなとつながっていて、たぶんみんなひとつです・・・・
自分を愛しているので、みんなも地球も愛おしい。
自分のできることを、孫の孫の世代にまで、
この地球が美しくあるように。
遅ればせながら・・・・・・
ようやく、
あえて非常事態宣言。
神様は今回、日本を選びました。
わたしたち日本人を今、選びました。
私たちは、選ばれました。
世界を地球を美しく調和させる力があるよ、と。
日本語にはその昔、
「私」
「自然」
という言葉はありませんでした。いずれも外国語の
翻訳としてできたといわれています。
すべてが渾然一体で、調和した民族でした。
それが日本人なんだと思います。
下記の署名は4月30日まで期限が延びました。
どうぞ情報による判断ではなく、
自分の胸に答えを聞いてください。
日本人の私たちはきっとよい方に動いていきます。
そして私はやはりひたすら自然農と自己浄化をおこないます。
どんなに小さなエネルギーでも、ゼロと1では違うということを
信じて。
2011年4月12日火曜日
日本と日本人のわたし
3月11日、わたしたち夫婦はアフリカのギニアにいました。
電気は2,3日に1度、6時間くらいしかこないし、
水は毎日井戸から汲む生活がアタリマエの国。
このことは、きっと何か意味があるんだろうと思いますが
まだよくわかりません。
原発の事故。
もちろん東京電力の責任はあると思いますが、
この日本で、原発を必要としていたのは
まぎれもなく私も含む日本人のみんなです。
何もかもが行き過ぎている日本。
自然農をする私たち夫婦を、イシちゃんが手伝っている
慣行農法のお父さんは
「生まれてくる時代を間違ったねぇ」と言うけれど、
今の時代に生まれたからこそ気づいたんだよね。
「もうちょっと戻って、もうちょっと自然に寄り添ったほうが
いいよ」と。
原発事故は必然だったし、今でなくてもきっといつか
起こった事なのかもと思います。
その昔、天災は、神の、もしくは大地の怒りだと思われていた。
風神雷神・・・・
でも今は「カガクテキデータ」を元にいろいろ左脳でいじくられ、
神の怒りはどこかに追いやられてしまったけれど、
わたしは天と地の怒りと哀しみを感じる。
なんだか学童保育のこどもみたい。
サミしさやカナしみを、うまく表現できないで
怒りとともに泣きながら暴れるこどもたち・・・・・・・・
「気づいて」
無意識のところから、メッセージをだしてきます。
自然という神を前に、
私たちは本当にちっぽけで無力な存在。
だけど、ひとつひとつの命は本当にユニーク。
唯一無二かけがえのないもので、同時に
なによりも尊いもの。
その命たちが、2万個以上も、いっせいに逝ってしまった。
きっと死ぬのは怖くないような気がするけれど、
残していくもの、愛する人を思えばこそ
命の最期は寂しくて悲しい気がするから、
わたしたちも悲しいのはしょうがないよね。と思った。
先週までなんか悲しいキモチが消えなかった私も、
みんなが喪に服してもいいではないか、と開き直ったら
少し楽になった。
生きているわたしたちの世界はムジュンという原料から
できています。
原発は反対して、計画停電には腹を立てる矛盾。
矛盾の中に正義を見つけようとしても、また矛盾を
見つけるだけ。
人って本当に感情的な生き物だなぁと、我ながらつくづく
思いましたね。
ぜんぜん理性的じゃないです・・・・・・
地震のように情報に感情を揺さぶられ、
津波のように感情に飲まれる・・・・・
不謹慎だけどほんとうに。
有事がおこると動物は「闘争か逃走」を選びます。
動物としてもちろん種の保存のため。
人は愛するものを守るため。
今まさにその動きがうずまいています。
どちらにも行かないとき、固まります。
殻に入ります。
もしくは根を生やします。
もし将来、わたしは新しい未来に生きる命を、
この身体に宿すことができるのならば
もしかしたら、今、もう
逃走したほうがいいのかもしれない。。。
オンナは感情で動くから、一人だったらとっくに
どっか行っちゃったかも。
でも将来君はどしんとして、まったく動じる気配なし(笑
ただただ翻弄される私を見て、
まずは冷静に放射能について知ることを勧め、
怯えてキャンキャン吠える私を鎮める手腕はさすが(笑
レベル7ということですが、
放射能について、みんな自分でいろいろ調べてみると少し
気持ちが違うと思います。
いろんなソースから。
一人の人の意見ではなく。
そして畑にいくと、ミョウに安心する。
アタリマエに草が生えてきてて、カブや小松菜は菜の花つけて
種のこし。
冬眠から目覚めたばかりのまだ茶色いカエル君たちが
ぴょんぴょん跳ねる。
自然はそんなにヤワじゃない。
さてもし今後原発が爆発して、完全にこの土地が汚染されても、
じゃあどこに行くのか?
ここを捨てて我が身安全な場所へ、国外へ逃げるのか?
そのときになってみないとわからない。
ほんとうに正直いうと、原発事故を聞いたとき
「専業農家じゃなくてよかった・・・」と思った。
でも同年代、もしくはもっと若い子達で、千葉の近所で専業農家
をしているみんな(しかも赤ちゃん連れ多し!)の、
地に足つきっぷりをみて、ほんとうに自分がハズカシーと思った。
わたしはここで自然農をつづけます。
とりあえず今は根を生やします。

私たちの畑にも、春が少しずつ目覚めています。
ゆっくり ゆっくり
・・・・・・・・・・・
ギニアに行って、まだまだ自分がいかに左脳人間だったかを
またあらためて感じました。
魑魅魍魎とともに暮らしているボラ村の人たちは
同じヒトとして、逞しく美しかった。
日本に生まれ育った私は、やはり日本人で、
この国を愛しているし、好むと好まざるとにかかわらず
きっと死ぬまで日本人だから。
いつも黒い人たちの国に行くと、母国日本に帰りたくなくて
仕方なくなる私ですが、今は自分たちの畑があると思うと
こどもを思うような気持ちで日本に帰りたいなぁというキモチが
あることを不思議に感じていました。
うーんでもやっぱり第三世界が好きだけど。。
ものは少ないし、不便だけど、人がいっぱいいて
篤いココロがぶつかりあう毎日。
どうしても惹かれる。
しょうがないね、ムジュンの世界。
でも心の奥には、日本に生まれて、日本人でよかったな
と思う自分もいる。
これもやっぱり宿命だ。
いま色んな迷いの中で、色んな決断をしている人がいると思うけど
それはやはりそうなるべくしてそうなっているんだと思う。
日本はこれからどんどん変わるだろうな。
きっといい方に。
すべてはよきことの為の必然だから。
電気は2,3日に1度、6時間くらいしかこないし、
水は毎日井戸から汲む生活がアタリマエの国。
このことは、きっと何か意味があるんだろうと思いますが
まだよくわかりません。
原発の事故。
もちろん東京電力の責任はあると思いますが、
この日本で、原発を必要としていたのは
まぎれもなく私も含む日本人のみんなです。
何もかもが行き過ぎている日本。
自然農をする私たち夫婦を、イシちゃんが手伝っている
慣行農法のお父さんは
「生まれてくる時代を間違ったねぇ」と言うけれど、
今の時代に生まれたからこそ気づいたんだよね。
「もうちょっと戻って、もうちょっと自然に寄り添ったほうが
いいよ」と。
原発事故は必然だったし、今でなくてもきっといつか
起こった事なのかもと思います。
その昔、天災は、神の、もしくは大地の怒りだと思われていた。
風神雷神・・・・
でも今は「カガクテキデータ」を元にいろいろ左脳でいじくられ、
神の怒りはどこかに追いやられてしまったけれど、
わたしは天と地の怒りと哀しみを感じる。
なんだか学童保育のこどもみたい。
サミしさやカナしみを、うまく表現できないで
怒りとともに泣きながら暴れるこどもたち・・・・・・・・
「気づいて」
無意識のところから、メッセージをだしてきます。
自然という神を前に、
私たちは本当にちっぽけで無力な存在。
だけど、ひとつひとつの命は本当にユニーク。
唯一無二かけがえのないもので、同時に
なによりも尊いもの。
その命たちが、2万個以上も、いっせいに逝ってしまった。
きっと死ぬのは怖くないような気がするけれど、
残していくもの、愛する人を思えばこそ
命の最期は寂しくて悲しい気がするから、
わたしたちも悲しいのはしょうがないよね。と思った。
先週までなんか悲しいキモチが消えなかった私も、
みんなが喪に服してもいいではないか、と開き直ったら
少し楽になった。
生きているわたしたちの世界はムジュンという原料から
できています。
原発は反対して、計画停電には腹を立てる矛盾。
矛盾の中に正義を見つけようとしても、また矛盾を
見つけるだけ。
人って本当に感情的な生き物だなぁと、我ながらつくづく
思いましたね。
ぜんぜん理性的じゃないです・・・・・・
地震のように情報に感情を揺さぶられ、
津波のように感情に飲まれる・・・・・
不謹慎だけどほんとうに。
有事がおこると動物は「闘争か逃走」を選びます。
動物としてもちろん種の保存のため。
人は愛するものを守るため。
今まさにその動きがうずまいています。
どちらにも行かないとき、固まります。
殻に入ります。
もしくは根を生やします。
もし将来、わたしは新しい未来に生きる命を、
この身体に宿すことができるのならば
もしかしたら、今、もう
逃走したほうがいいのかもしれない。。。
オンナは感情で動くから、一人だったらとっくに
どっか行っちゃったかも。
でも将来君はどしんとして、まったく動じる気配なし(笑
ただただ翻弄される私を見て、
まずは冷静に放射能について知ることを勧め、
怯えてキャンキャン吠える私を鎮める手腕はさすが(笑
レベル7ということですが、
放射能について、みんな自分でいろいろ調べてみると少し
気持ちが違うと思います。
いろんなソースから。
一人の人の意見ではなく。
そして畑にいくと、ミョウに安心する。
アタリマエに草が生えてきてて、カブや小松菜は菜の花つけて
種のこし。
冬眠から目覚めたばかりのまだ茶色いカエル君たちが
ぴょんぴょん跳ねる。
自然はそんなにヤワじゃない。
さてもし今後原発が爆発して、完全にこの土地が汚染されても、
じゃあどこに行くのか?
ここを捨てて我が身安全な場所へ、国外へ逃げるのか?
そのときになってみないとわからない。
ほんとうに正直いうと、原発事故を聞いたとき
「専業農家じゃなくてよかった・・・」と思った。
でも同年代、もしくはもっと若い子達で、千葉の近所で専業農家
をしているみんな(しかも赤ちゃん連れ多し!)の、
地に足つきっぷりをみて、ほんとうに自分がハズカシーと思った。
わたしはここで自然農をつづけます。
とりあえず今は根を生やします。

私たちの畑にも、春が少しずつ目覚めています。
ゆっくり ゆっくり
・・・・・・・・・・・
ギニアに行って、まだまだ自分がいかに左脳人間だったかを
またあらためて感じました。
魑魅魍魎とともに暮らしているボラ村の人たちは
同じヒトとして、逞しく美しかった。
日本に生まれ育った私は、やはり日本人で、
この国を愛しているし、好むと好まざるとにかかわらず
きっと死ぬまで日本人だから。
いつも黒い人たちの国に行くと、母国日本に帰りたくなくて
仕方なくなる私ですが、今は自分たちの畑があると思うと
こどもを思うような気持ちで日本に帰りたいなぁというキモチが
あることを不思議に感じていました。
うーんでもやっぱり第三世界が好きだけど。。
ものは少ないし、不便だけど、人がいっぱいいて
篤いココロがぶつかりあう毎日。
どうしても惹かれる。
しょうがないね、ムジュンの世界。
でも心の奥には、日本に生まれて、日本人でよかったな
と思う自分もいる。
これもやっぱり宿命だ。
いま色んな迷いの中で、色んな決断をしている人がいると思うけど
それはやはりそうなるべくしてそうなっているんだと思う。
日本はこれからどんどん変わるだろうな。
きっといい方に。
すべてはよきことの為の必然だから。
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