2011年4月27日水曜日

アロエちゃん 非常事態宣言?

いまの日本社会、経済至上主義、ぐろーばりぜーしょんへの
アンチテーゼであり、

唯一のほんとうに環境に負荷をかけず、自然と調和して
人として生きていける道と確信した
「自然農」という選択、そしてそれを実践すること。


そして社会をどうこう言う前に、まず自分自身を見つめ、
浄化すること。


ただそれこそが自分にとっての平和活動であり、環境運動であり、
生きかただと思って日々生活していました。


何が起こっても、ただそれは「起こっていること」。

常に動揺せず、ぶれることなく、ただ生を全うする。


ヨーガとしての生きかた。



それでいいと思っていました。



でも・・・・・・・・・



「日々お金儲けに一生懸命な人たちは、昼夜問わず、
 寝食もそこそこに必死にがんばっています。

 その反対に、平和を願う人たちや、環境問題に意識を向けている
 人たちは、ただ静かに、なんとなく、思っている人が大半です。

 その比率でいえば、後者のほうが、おそらく圧倒的に多いのですが、
 その‘がんばり度’にあまりにも差があるので、
 世界は前者にひっぱられています。

 だからこそ、後者の人たちが、ほんの少しでもいいから、
 もう少し大きな声で、それぞれの想いを伝え合っていけば
 世界はもっといいほうに、変わっていくのではないのでしょうか?」


これは地球村の高木さんが仰ったということを、先日
Natural Studioのマキさんから伺いました。
(文面はわたしの解釈ですが・・・)


そうだよなーーーー、たしかにそうだよなぁ!


とほんとうに思いました。

そして今こそ、ほんのちょっとでもいいから、みんなの声の
ボリュームを上げるとき。ですよね。





自然農や和みのヨーガに出会う前まで、
私はほんとうに批判的な人間でした。


批判的な人間が往々にしてそうなように、ただ何もかもが批判の対象
になりますが、批判しているだけで何もやりません。

批判することに自分を消耗していき、とても疲れて、余計に
いらいらして、批判する気持ちがどんどん膨れ上がっていきます。


今の社会や世界の情勢を知れば、危機感を持つのは当然でしたが、
それをどうしたらいいのか全くわかりませんでした。


そして結局、批判することの無意味さ。
批判は破壊だけして何も創造しない、無力さに気付かされ、
生きかたの変換を余儀なくされた・・・・。


そして今、私個人としてはほんとうにありがたいくらい
毎日幸せな生活を送っています。



でももし仮に、こどもができて、その子ども、孫の孫の時代に
なったとき、もうその時代には、完全に地球は汚染されきって、
自然は破壊され、暴力が充満し、指が6本7本あるのは当たり前なんて
いう世界になっているかもしれない。

でも反対に、地球の汚染は食い止められ、今よりももっと自然が
復活しているかもしれない。



どちらに行くかは、今生きている私たちにかかっている。


そのためには、ただ幸せを享受して、平和呆けしている場合では
ないのではないかと、またあらためて思いました。


ただ畑にいるとき、お風呂に入っているとき、
ふと、地球と自分はひとつなんだと感じました・・・・・


そしてみんなとつながっていて、たぶんみんなひとつです・・・・



自分を愛しているので、みんなも地球も愛おしい。


自分のできることを、孫の孫の世代にまで、
この地球が美しくあるように。


遅ればせながら・・・・・・
ようやく、
あえて非常事態宣言。



神様は今回、日本を選びました。
わたしたち日本人を今、選びました。
私たちは、選ばれました。


世界を地球を美しく調和させる力があるよ、と。


日本語にはその昔、

「私」
「自然」

という言葉はありませんでした。いずれも外国語の
翻訳としてできたといわれています。



すべてが渾然一体で、調和した民族でした。

それが日本人なんだと思います。




下記の署名は4月30日まで期限が延びました。

どうぞ情報による判断ではなく、
自分の胸に答えを聞いてください。

日本人の私たちはきっとよい方に動いていきます。


そして私はやはりひたすら自然農と自己浄化をおこないます。


どんなに小さなエネルギーでも、ゼロと1では違うということを
信じて。

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