2009年12月22日火曜日

和みのヨーガを通して、そしていろんな人々や、本に出会って
気づいたこと。

それはけっきょく「全てはじぶん」ということ。

そしてすべての人は自分の鏡だということ。

すべての ひと です。


ある人は、あの人からはやさしい人と言われ、この人からは怖い人
と言われる。

どちらも真実。

あの人のやさしさが、ある人に映し出されるからやさしい人に見え
この人の怖さが、ある人に映し出されるから怖い人に見える。


でもこの真実を、じぶんに当てはめるのは、大きな抵抗があります。



わたしは毎日たくさんのこどもたちと触れ合います。

こどもは、おとなよりもずっと鎧が柔らかく透き通っているので
生身で毎日生きています。


いわゆる多動であったり、すぐキレてしまったり、暴力的だったり
ちょっと‘困った’子といわれる子たちもいます。


ある子がわたしの前でもの凄くキレてしまい、じぶんの大切なものを
めちゃくちゃに壊して、泣きながら悪態をついている時、
彼はわたしの鏡です。


わたしはとても悲しくなるのと同時に、愛おしくて申し訳なくて
一緒に泣きたくなるけれど、やはりペルソナ
を捨てるわけにもいかず、じっとその子を見つめるしかできません。
「どうしてそうなっちゃうんだろうね」と言いながら・・・

そんな時は心の中で

ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

とつぶやくことだけです。


キレる時、そばにいる大人はだいたい決まっています。

ある人は、その子がそれだけその大人に心を開いているからだ、
というけれど、やはりその人のなかにそういった部分があるから
なのでしょう。


そして暴力的だと言われている子が、おそろしいくらい透き通った瞳で
無邪気に遊んでいる姿を見て、こんな純粋さもわたしの鏡として
いいのだろうか?と思うと、せつなくて愛おしくて
泣きたくなります。

ありがとう、と心の中でつぶやきます。

偶然にも、こういった機会をあたえられたことに
感謝します。
偶然はないですね、やはり必然だったんでしょう。


「あんな人わたしの鏡なんかじゃない。」


そう反発してみても、やっぱり鏡なんだなぁと
思わされる。


そう思うと、誰も否定しなくてよくなるんです。


ムズカシイけど、でもやっぱり
鏡です。



D君(4年生)作:天使とあくまとうんちょ君

なつき

4 件のコメント:

  1. 自分にないものは、分からないから。認識できるってことは、あるんでしょうね。結構、ないものにも出会い、本当に分からなくて、そういうものなのか。。。と学びます。

    良い悪いなんて、誰がいつ、決めたんでしょうね。感情は、ただの感情。存在もただの存在。

    どれも、奇跡だね~(^^)

    なつきちゃん 好きだよン♪

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  2. いちごさま♪

    ありがとうございます。

    感情に翻弄されていたわたしは、「感情は、ただの感情。」と思えるようになるまで時間がかかりました、、


    「存在もただの存在。」

    こっちはまだムズカシー、かな。。


    いちごちゃん 好きです♪

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  3. あの人も鏡、この人も鏡・・・
    できれば都合良くいい人だけを自分の鏡と思いたいな^^
    でも、確かに自分の中にはいろんな自分が潜んでるかも・・・怖っ!
    受け入れる謙虚さが必要なんだね。
    今の私に必要なメッセージでした。ありがとう。

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  4. シャランさま、

    ほんと好きな人だけを鏡にしたいけれど(笑)

    怖いけど、同時にすっごく面白いなぁと
    最近つくづく。

    ありがとうございます

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