2011年11月25日金曜日

自然農で営農するということ 松尾ほのぼの農園


初日はなんと土砂降り。というより風吹き荒れる、ほとんど嵐(笑)

写真は始めの挨拶をしてくださる松尾靖子さんと、そのお隣に川口さん。

松尾さんはじつは今年病気をしてしまい、田畑にはしばらく
出られていないということでした。


自然農に出会う前は有機農家として6年、
自然農農家・松尾農園を20数年運営、
福岡自然農塾を切り盛りして、
それはそれは多忙な日々を送られて、ゆっくり食事を摂る時間も無いほど
だったとか・・・・・・・・


「自然農をやっているから大丈夫」という傲慢さがあったかもしれない
ということを仰っていて、やはり「身体の声を聞く」ということの大切さ
を再認識しているということでした。





とにかくすごい雨だったので、ほとんど写真は撮れなかったのですが
噂にたがわず作物たちが素晴らしく立派に育っていること・・・・・・( ゚д゚ )

いやはや驚きました。

補いは油かすをあげているということでしたが、土質がもの凄い粘土質で
水分の循環がいいのでは、とどなたかも仰っていました。

川口さんは「少し栄養過多の気もありますが、でも虫の問題も招いていないし
素晴らしいです」と仰っていました。


確かに補いはそれなりにやっていらっしゃるのでしょうが、葉っぱなども
あまり食害がなく綺麗に育てられていて、さすが20年の大調和というものを
見せていただくことができました。


畑の入口。
手前カボチャのように繁栄しているのはズッキーニだそうで。
ずいぶんと長い間収穫できているそうです。

みなさん仰られることですが、自然農の畑では、元気に健康に育つ作物は
本当に長い間実りをくれるんですよね。
うちのオクラもつい最近までせっせと花を咲かせておりました。


あとはやはり意外と資材は使われていました。
やはり規模も規模ですので、市販の資材に頼らざるを得ないところも
出てくるようです。

「自然農で営農」するということは、やはり多少の矛盾を伴う。


今回の会で、同年代のやはり営農を目指す夫婦に会って話をしたときに
「どの程度まで折り合いを自分の中でつけられるか」
というところで戸惑い悩む、と話しました。


でも松尾さんの言い分が良いのが、
「私たち人間はそもそも矛盾の中で生きているのだから
 自然農に矛盾があっても当然」
というようなことを仰っていて、「やられたー!」(笑)と思い。


まぁそのような矛盾の世界に生きているからこそ、
自然農だけは、矛盾のない世界として貫徹したい、という
エゴがムクムクと沸き上がるばかりに、また迷いの世界へ
入ってしまうのですが、、、、、


枯れた夏野菜(モロヘイヤ?)の足元で、元気に育つレタスや葉物類の苗たち。
元気すぎる!!


今回、松尾さんは体調のこともあり、言葉での学びの場には一切来られなかった
のは本当に残念でしたが、畑で雨の中、伺った松尾さんの思い。

「有機農家をしていたときは、出荷できない野菜がもったいなくて
 仕方なかったんですよね。
 大切に育てて、やはりみんなお嫁さんに出してあげたいなって。
 でも自然農を始めたら、そう思わなくなったんです。
 お嫁に行くお野菜たちももちろん大切だけど、畑に残って、花を咲かせて
 種を残して、そして畑に帰っていくお野菜たちも、同じくらい
 本当に大切な存在だと思えるようになったら、自分のそうした葛藤も
 どんどん減っていったんです」

というようなお話。

徳島の沖津一陽さんも「松尾さんには適わないよな~」と言っていたのが
「真夏の田んぼの草刈は本当に大変だけど、でも温泉に入ってると思えば
 同じかな~?なんて」
と仰ってた松尾さん(笑)

素敵すぎます。


とにかくまさに‘お日様’のような松尾さんのオーラは
やはり巷ではついぞお目にかかれないような素晴らしいものがあります。

しかしその‘ほのぼの’という言葉がピッタリの松尾さんも
営農を目指す若者には、それがいかに「厳しい」世界なのか、
本当に「覚悟」はあるのか、と厳しく確認されるということでした。


前述の沖津さんも、いつも営農する世界の厳しさをおっしゃいます。

これだけ機械化が進んでいる農業の世界において、
ほとんど全て手作業でおこなう、自然農です。


正直言って、手塩にかけたお野菜たちを、「お金」という対価にして
手放すのはもったいなくてもったいなくて(笑)
これじゃ営農も難しいよな、と思うのも事実。




また質疑応答で、川口さんが以前「自然農の営農にむいている人、
向かない人」ということをおっしゃったことについて質問した人に
対して、



「今この日本で、この豊かで便利な日本で、‘農業にむいてる人間’なんて
 一人もいやしないよ!」

沖津さんは言い放ちました。


沖津さんは獣医師の免許を持っているので、よっぽども獣医をやっていたほうが
楽で儲かるといいます。


でもあえて、辛く儲からない(笑)自然農の専業農家という生き方を選んだ。


それはきっとやる気とか情熱とか使命感、それだけで選べる道ではない
のかなぁと思います。


逆に、本当に「いのちの世界」を知ってしまえば、自然の偉大さ、
ヒトの無力さを知ってしまえば、申し訳ないけれど
けして他の農法(慣行農法、有機農法)はできないのかもしれない、とも。


というか私に限って言えば、「農家になりたい」「農業をしたい」と
思ったことは一度もありません。

ただ「自然農をしたい」という想い。


それは沖津さんも笑いながら言っていたように「宗教だよ(笑)」
ということなんです。


もちろん自然農は宗教じゃないし、川口さん自ら、ひとつの集団、
ひとりの人間に固執するのは誤りである、と断言しているとおり、
私は宗教に入りたいわけじゃない。


だけど、本当に唯一の答えが、この自然農なんです。





それは慣行農法、有機農法を否定しているのではなく、
「自分たちが食べていく道(お金をきちんと稼ぐ)」を選ぶのか、
「いのちの世界から外れない真に魂の納得する道」を選ぶのか
どの視点に立つのか、の違いなのだと思います。


そしてそれはもちろん、どちらの方が良い悪いでもないし、
どちらの方が優劣、でもない。
視点を変えれば、あらゆることはどちらでもあり、どちらでもないからです。


そうはいっても、実績として、有機農家として自立出来ている人と
自然農農家として自立できている人の数としたら、圧倒的な差があります。


そして自然農で営農して生きていくということは、本当に簡単な道では
ないので、それは自然がおこなうことなので、人間の人智を超えたところ
なので、その差が縮まることも無いのではとも思います。


ですが驚くことに、なんと最近では赤目自然農塾を通り越して
(赤目の方が近いのに)、この福岡自然農塾に通う方が出てきているとか。


ということは、それだけ「自然農で営農」したい、という思いが
強まっているのかなぁと思います。

それが近道なのか遠回りなのかはわかりませんが・・・・・・・



学びの場を上からみたところ。
カッパがカラフルでなんかきれい。


そして最後に、夕飯の時に隣になった、松尾さんの下で1年研修を終えたという
将来君と同い年の山本君のお話を・・・・・
「靖子さんの下で、1年間学ばせてもらうと、自分も営農できる!という
 確信みたいのが得られたんです。
 迷いや不安はあまりないです。

 靖子さんが言ったのは

 ‘自然農の野菜だから’売れる、買ってもらえるようじゃダメなのよ。
‘山本君の野菜だから、山本君がつくった野菜だから’食べたい、買いたいと言ってもらえるようにならなければ、農家としてやっていけないよ。

 と。

 全てはあなたという人にかかっているのよ。

 と。」


私は深く深く感動したと同時に(でも考えてみれば子供のころから母に
ずっと言われ続けてきたことでもあった!)、自分という人間を丸裸にされたような
そんな感覚になり、
けっきょくはそこに行き着くのだなぁ(なのに私が一番自信のないところ?!)
とまた、身の引き締まる思いを抱き、将来君と深く心に留めました。

2 件のコメント:

  1. こんにちは、通りすがりの者です。松尾ほのぼの農園さんのお米で作った玄米麹を購入したものです。ネットで検索していてたまたまこちらのブログを読ませていただきました。魂の納得する道、心に沁みました。良い文章に出会えた事感謝いたします。ありがとうございました。

    返信削除
  2. このひとりごとのような拙文読んで下さりありがとうございます。またこうしてコメントを残していただけること、とても嬉しいです。
    またよろしかったらぜひ通りすがっていただければ幸いです。

    こちらこそありがとうございました。

    返信削除