2010年7月6日火曜日

敵はいなかった

虫さん写真シリーズ、意外とみなさんニガテだったかな、、、
と後で気づきましたが、わたしも畑を始める前までは
虫がもうニガテで、どちらかといえば嫌いでしたから。。

それがもうとにかく自然農の畑は、虫、虫、虫のオンパレード。

ぶっといミミズ~はもちろん、アリ、カエル、バッタ、トンボ、
コオロギ、カマキリ、カナブン、ダンゴムシなど
おなじみの面々(?)始め、
いろんな種類のクモ、カメムシ、ハチ、それから
色とりどりの幼虫たち、毛虫たち。

もう今じゃそれが全部かわい~ってなもんでございます。

昨日も、今年‘初’カマキリに会って、なんかうれしくなっちゃったり。



でもたまに、そのうちのいくつかが収穫物と混じって
うちの台所なんかにいたりすると、やっぱり「ギョ」っと
するんです。

だからいるべきところで見ると、なんともないのに
そうでない所で見ると、やっぱり違和感を覚えるのは
当然なんでしょうね。


それで気づいたこと。


畑で作業していても、かれらは誰一人として、私を攻撃してくるものが
ありません。



もちろんハチなんかは、巣を攻撃されると即効で刺してくるし、
アリも噛んできたりするけれど、
それ以外の場合は、でっかいスズメバチも決して攻撃してくることは
ない。

「ただそこにいる」わたしに対して、彼らは「ただそこにいるもの」
として受け入れてくれます。


それまで私の出会っていた虫というのが、代表的なのが蚊だったり
(血を吸いやがる~)、ハエ(食べ物にたかりやがる~)、
ハチ(なんか知らないけど刺されそう~)、ゴキブリ(とにかくキモい~)
人間にとって、害以外のナニモノでもないものたちばかり。。

だから自動的に、虫=害=嫌いの図式ができていたんですが、
それはずいぶんと偏見に満ちた考えだったんだなぁとあらためて。


自然農の畑にいると、敵はいなかったんです。


ハーモニーの中には、敵はいないんですね。


もちろんこれは人間主体の考えなので、
自然界ではいつでも食うか食われるかの
弱肉強食がおこっています。


でもそれは自然の摂理で、憎しみによるものではありません。

食うのも自然なことであり、食われるのも自然のことです。

けっして過剰に食わないので、過剰に食われることもない。



生きるのも自然であり、死ぬのも自然のことと同じ。



それで気づいたことがもうひとつ。


アトピーなどのアレルギー反応。


体は、体にとって‘害’と認めたアレルゲンを、必死に追い出そうと
戦っています。

わたしの体も、いつも戦っている・・・


もちろん戦ってくれないと、体が守られないわけなので必要ですが
過剰に戦っているのがアレルギーですよね。


「また敵が入ってきた。また敵が入ってきた」と体は戦う。


ほんらい敵にならない、花粉やダニやホコリや、なんやわからん食品も
敵だ敵だと騒いでいる。


わたし一人の体のことだけど、これは世界のあらゆるところでおこってる
いろんな状況とリンクもしている。

不確かな不安定な足場のうえで、いつもわたしたちは右往左往しているのですね。


なにが本当の敵かもわからずに、
もしかしたら敵なんかいなかったのかもしれないのに・・・


だからとりあえず私は「敵じゃないよ。だいじょうぶだよ」と
少しでも体に安心してもらおう、

なんとなく、そんなことを思ったのでした。

2 件のコメント:

  1. ご無沙汰です。その後、調子はどう?
    ホント、その通りだね~
    この日記を読んで、自分がアフリカの動物から気付かせてもらうことをリンクして考えたりしました。
    自然から教えてもらうことっていっぱい。

    自分のmixiに、ちょっと違った点から思うことを書いてみました。でも原点はおんなじ。

    お時間あったら見てやってください。

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  2. お久しぶりです、コメントありがとうございます♪

    アフリカの大草原の百獣の王と、うちの小さな畑のカメムシでは全然次元が違うけど、気づかされることはほんと同じですね。

    自然界ではハッキリと線を引いて在る、「敵」「味方」のライン。

    そういうものを超越できるのは、進化した人間だけなのに。


    なのに私たちは虫以下になっていることが、なんと多いことか・・・・


    もうちょっと調子よくなって、お酒が飲めるようになったら、また飲みいって熱く語りたいですね(笑

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