2012年2月21日火曜日

ガンダーリ松本 インタビュー

ガンダーリ先生のインタビュー連載がこちらに掲載されています。

あらためてどの言葉も私は腑に落ちることばかり!


インタビュー記事はかなりの長文なので、以下に抜粋させていただきました。
(抜粋もかなり長いけど、、、、)

ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一読ください。



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(幸せ創造劇場について)

私達は体験を通してしか学べないんです

例えば、泳ぐことは、どんなに泳ぐための本を読んでも泳げないじゃないですか。でも、一度、水に浮かぶという体験をすると泳げるようになるでしょう。そういう体験を一緒にする大切な「場」なんです。






私達は、体験が違っていると、同じ言葉を使っていると思っても通じ合わないことがあります。

言葉というのは「事の端」「体験の記憶」でできているからなんですね。時には、人と人を遠ざけるためにあるのかしらと思うほど、言葉が距離を離してしまいます。それが共通体験を持つことができると、言葉を超えてつながる瞬間があるんです。


本当は、私達は、目に見えるものとか、音に聞こえるものとか以外の、五感を超えたもので、つながっているということがたくさんあるんですよ。でも、現代人はあまりにも忙しすぎて、考えすぎて、感じることは麻痺してしまって、それが分からなくなっています。
つながる体験をすれば本来の姿に戻れると思ったんです。





人に教えることは何もないんです。人は、教えられたことは、あまり聞きません。
昔はそれが分からなくて、一生懸命教えていました。
人は「知っていることしか知ることはできない」のです。知らないことは聞こえてこないんです。自分で気づくしかないんです。





最初は、世界の人を幸せにするためには、「枠を作らないといけない」と思っていました。
素晴らしいルールや制度が必要だと思ったんです。
それは、人を信頼していなかったのでしょう。自分も含めて、人間の「エゴ」なるものを恐れていたんだと思います。



その次は、「人の心を変えなくてはならない」と思ったんですね。
人はどう生きれば幸せになれるのかを知らないと思ったのでしょう。それを知らせて、教えてあげなきゃいけないと。でも、それも違うと思いました。


今は、「人が人に対して何ができるか?」と、問われたら、「何もない」と迷わず答えます
もしも人が人にできることがあるとしたら、それは、「共に在ること」だけなんだと思います。その人がその体験を選び味わっていることを尊重し、その人は「どんなことがあっても大丈夫」という信頼のもとに安心して共にいるだけなんです。







私がこれまでにたどり着いたとてもシンプルな自然の法則があります。
それって、本当は誰もが知っているんじゃないかと思うんですが、みんなあまりの忙しさにすっかり忘れちゃっているんです。

その法則を簡単に言うと、「すべてのものには必ず両面がある」というようなことです。

この世の中は、プラスとマイナスでできている。男と女がいる。温かいがあれば、冷たいがある。不幸があるなら幸せがある。必ず相反する二つのものでできているってことに気づいてもらう為に、「幸せ創造劇場」では、「時間と空間と仲間」を提供しているんです。

例えばここに一枚のチラシがありますね。片方が表なら、もう片方が裏ですね。どちらも切り離せない。ここに二人の人がいて対立しているとしたら、 同じものを見ているようでも、裏と表、全く真逆のものを見て、喧嘩しているわけですよ。一人は字しか書いてないというし、一人はちゃんと写真もあるじゃな いというように。

でも、今、そこで向かい合っている二人を離れて見ていてニコニコ笑っている人は、そのどちら側も見えるからなんですよね。このように第三者的視点を持つとゆとりが出てきます。

つまり「両面を同時に見る」ということです。たいてい私達は自分の人生の片方からしか見えていないんです。



かつての私は、男みたいになりたいと思っていて、自分が女性であることを許していなかったんです。可愛い女の子が、「これやって~。これ持って~」って、女であることを使って、甘えることが嫌でした。

それは、自分が自分に女性性を許してなかったんだと気がつくと、自分の女性性も認めるようになって、やっぱり美しくするのはいいな~って想えるよ うになったし。かわいい子の甘え声にも腹が立たなくなったんです。人は、自分が自分に許していないことをすると、腹が立つんだ…と気がついたわけです。






人生って演劇みたいなものじゃないですか。シェークスピアは、「人生は舞台、人は皆役者」だと言っています。だいたい一人の人の人生ですくなくとも7役はこなすと言っているんですね。

自分の人生は、シナリオがない即興劇みたいなものでしょう? その自分の人生を楽しめないのは、「怖れ」があるからなんですよ。即興、つまり何が起こるか分からない、と思っている。





脳というのは、過去も現在も未来も区別できないといろんな人が言っていますよね。本当に、全くその通りなんです。






例えば、始まる前に輪になってみんなの顔を見てもらいます。全員の顔が見えますが、見えないものが一つあるんです。「それは何ですか?」と、問いかける。 「自分の顔」なんですよ。自分の事って本当に分からないんですよね。だから分かるために人と出逢うんです。様々な出逢い方を創り出して、実験して遊びましょう・・・ということなんです。






気づいて欲しい自然の法則とは。とてもシンプルなことばかりです。すべての事には両面があるとか、大切なのはそのバランスをどう取るかということみたいな。

バランスっていうのは、バランスを崩しちゃいけないと言っているのではなくて、「あっ、崩れてるな」って気づいたら、戻ると知ることなんです。だから、私達は気づけばいいので、いつまでも自分を責めて反省しなくてもいいし。ましてや人を責めなくてもいいんです。


たとえば、居眠りしていて、「あっ、居眠りしてた」って気づいた時は、もう起きていますよね。眠っていては気づけないでしょう。なのに、いつまでも、「どうして居眠りしちゃったんだろう」なんて考えたり責めたりしていたら「今」にいることができない、ずっとその居眠りを引きずっている訳じゃないですか。気づけばいいんです。気づいたらそれで、もう終わりなんです。



それと「最終的には、全部自分が決めるんだ」ということが分かっていない、できてこなかった人がとても多いです。そういうことを生きてこなかった方が、自分で決められるということを体感できる場所でもあります。



やりたいならYES、やりたくないならNOと選択することが、自分を大事にすること。また、やり慣れないことだけれどやってみようYES、という のも自分を大事にすることなんです。この二つの相反するように見えることのなかで、全部自分が「今、ここ」で決められるんだということを体験する意味はとても大きいと思いますね。


「私は、全てのことにYESと決めてます」という人がいますが、それはちょっと違うかなあ。
ほとんどの人は「いつもいい人でいよう」と決めてるから苦しい。
「人は、YESの時とNOの時があるものなんです」そんな、本当の自分の欲求、それを感じとって許す場所でもあります。ミニミニ体験コーナー。






だいたい日本人は怒りを抑圧している人が多いです。
お母さんを嫌いって言っちゃいけないって思っているから、「お母さんなんか嫌いよ~」って言ったとたん に、お母さんを愛していることを思い出します。全て表と裏でしょう。自分に裏を許していないの。裏を許していないから、表も見えない。



○ ○

(和みのヨーガ)

私達って、「襟が曲がっていますよ」って、フィードバックされると直すでしょう。全てフィードバックなんですよ。今の人達は、そのフィードバック機能がうまくいっていないんですね。

どうしてうまくいっていないかというと、私達の体って99.99%くらい、その全ての細胞が私達を幸せにしようって、バランスを取ろうとして動いているんですね、でも、左脳にあるピーナッツ大くらいのわずかな細胞が、「こうしちゃダメ、ああしちゃダメ」って言ってるんです。

私達現代人は今、このピーナッツに振り回されているんですよ。それで、とっても鈍感になってしまって、他の細胞のお話は何も聞いていないんです。フィードバックを受けていないんです。



「ここに捉われているのを止めて」って言うと、またそこに捉われるので、体からのメッセージを受けとるっていうこと、体をつないでいくっていうことをやります。すると、フィードバック機能が自然とできるので、ゆがんでいるものは元に戻るし、硬いものは柔らかくなります、体だけではなく心もです。


「フィードバック機能を回復させるのですね?」
そうです。そして、ほとんど全ては、ストレスからくる心の緊張が筋肉についているんですね。なので、筋肉をゆるめることによって、心の緊張を手放していきます。また、感情を手放す、トラウマ解放とか、悲しみのリリースとかもやります。


それが心理的なものであろうと、物理的なものであろうと、同じ原理なんです。その作業をやっているので、体が整わないはずがない。それを頭のてっぺんからつま先まで全部トータルにやるから、ものすごくパワフルです。例を挙げるときりがありませんが、若年性アルツハイマーの人は3か月で回復なさいました。だいたい、体の細胞は3か月ぐらいで入れ替わるんです。

筋無力症の人が、寝たきりになりそうなところから這い上がって、歩くようになられましたし、血液の難病奇病と言われて杖をついてやってきた人が、3か月もしないでダンスを踊って帰っていくようになられましたし。男性が苦手という方も、体が緩んで心が緩み、恋をなさってパートナーまでできてしまいました。

そして皆さんに共通なのは、あんまり自然に変わるので、病気だった、具合が悪かったことなんて忘れてしまっているんです。それが本当に変わるということなんです。






「ガンダーリさんの先生は誰ですか?」ってよく聞かれるんですけど、野口晴哉さん(野口整体の創始者)が、心の先生かなあと勝手に思っています。あの方は小学校しか出ていないの。犬を観察したり、人間観察をしたりして、すべては体験からいろんなことを発見していらしたんです。






生きてる智恵というのは、体験の中にのみあります。

それが、学問という知識になってくるとちょっと違ってくるかなあと思いますね。


元々、ヨーガというのは、哲学なんですね。

ヨーガという言葉には、「つなぐ」という意味があります。何をつなぐかというと、第七チャクラと第一チャクラが横隔膜で分断されているので、それをつなぐという意味と、私の中の心と体をつなぐ、私とあなたをつなぐ、そして私と社会をつなぐ、つまり社会に貢献できるための精神性を育てるのがヨーガなんですよ。そこから始まったんです。


そのために体を整えた方が、早いということで、動物のポーズから学びを得てアーサナというものをやっています。それは呼吸を整えエネルギーを通すためのポーズで、最終的には瞑想につなげていくためのものなんです。


インド人というのは怠け者なんだそうです。だから、ビシッと通す必要があって、あのポーズが必要なのだという方がいますが。でも、日本人はただでさえも真面目、そして丹田が下に来ていて、手足が短い、すでに落ち着く姿勢になっている。だから、インド人にとって必要なポーズは日本人にはいりません、というか合わないものが多いです。


今、インドの人も怒っていると聞いていますが、日本では「ヨガ」っていう名で、体を壊すような無茶なポーズを訓練なしにするところがあります。危険なポーズを無理してファッションでやって、そしてみんな体を壊している訳ですよ。



やっていることよりやっている人の意識が大切なんだと思います。
この「和みのヨーガ」は心を大切にしています。なぜならば、社会貢献を目指しているから。まずは自分が幸せになること。自分が幸せになると、目の前の人が幸せになる。自分の中にある「和み遺伝子」にスイッチが入ると、それは人に移るんです。



なぜならば、私たちはこの空気でつながっているからです。私達は、実は誰とも離れていないんですよ。私達が嫌なことを考えて怒ったら、その緊張はみんなに 伝わります。そして私達が緩めば、その緩みでスイッチが入った「和みの遺伝子」はフワァーってみんなに伝わるんです。ことばを変えると自律神経のバランスが整っている人がいると、まわりも整ってくるともいえます。



この世界は自分が作っているんですよ。
私達は70億分の1の人間ではなくて、自分が世界を作っているんだという自覚を持つと世界の見え方が変わってきます。自分とつながっていないものはない。最近すごくそう感じます。



昔は、人を「もっと何とかしたい」って思ったけど、今では人はそれでいいんだと思います。
自分が気づけば、もう終わっている。自分が気づくだけで周りが変化しているんです。





現代人は、みんな気づいている人も気づいていない人も、戦闘態勢にいます、そのアドレナリン全開っていうのをOFFにする機会なんです。そのOFFを体が 一度覚えたら、それができるようになる。それは、体験して体で覚えないとできないんです。体を緩めることができない人が沢山います。






私達は嫌なことがあると、自分を守ろうとしてチャクラを閉じて、心臓の周りの筋肉も自分を守ろうとして、ギューっと縮こまるんですよ。心臓の周りに緊張がつくんですね。

最初は、自分を守るためのはずだったものが、何かをしようとすると、心臓がバクバクいって調子が悪くなってしまう。でも、それがなぜなのか本人は分からない。遠い昔の記憶が今もなお体をコントロールしているなんて思いもしないからです。それがすべての筋肉を緩めることで、全部、ブワーって解除され るんです。






そうなんです。たとえば、鬱の方は、愛と創造性が溢れているんですね、それが出せないので鬱になっているんです。そういう時に人に手当てをすると、愛が流れ出すんです。そうするとブワーっと回復しますね。鬱の人はね、愛を出したいんです。



元々、女性はものすごく愛に溢れていて、男の人は女性から愛をもらわないと生きていけない
ようにできているのね。女性は太陽からもエネルギーをもらっている。女性は男の人に触れるだけで、流れが良くなります。


それが今は触れることがなくなって、女性は愛が有り余ってイライラしていて、男性はうつうつしている、そんな感じなんですよ。





この皮膚の発生は外肺葉で、脳と同じものなんですよ。だから、皮膚をなでたりするのは、脳をマッサージしているようなものなんです。皮膚を撫でると疲れている脳を優しくマッサージしているようなものなんです。





だいたい、イライラしている人は、「どうしてあの人はそれをしないの? 私はこんなに人のことを先にしているのに!」ってなっているんです。それがダメでしょうってことです(笑)。

そうじゃなくて、あなたが自分のことを大事にすれば、人もあなたを大切にしてくれるようになります。






結局、行き着いたところは、日本にすべてあったんです。
それは、ことわざだったり、子ども達の遊びだったり。たとえば、ソロワークでやっているアッカンベーとか。それはとっても必要なことだから昔の子ども達はやっていたんですね。


昔は、日本の子どもは賢かったんですよ。アッカンベーしたり、にらめっこしたり、足ではさみっこしたり、手遊びしたり、頭が良くなる遊びばかりあったの。それをやっていたらストレスなんてないんですよ。今の子ども達のように多動になって自分を守る必要もない。



でも、今はやらなくなったからストレスばかり。ゲームで親指ばかり使うと、ものすごく膨大なエゴを育ててしまうんですよ。指って全部使った方がいいんです。






また、魂がワクワクしてない時は違うんです。義務になっている。どんなに良いことも、義務になっては、それは偽善になっちゃうし、自分がつまらない。自分がつまらないことは、人はもっとつまらないと思うんです。






頑張るってすごくいいことだと思うんです。好きだったらガンガンやればいいと思うの。でも過ぎないで、頑張ったら休むということですね。

頑張ったからこそ、休む大切さが分かる。頑張ったからこそ、ゆるむ大切さが分かるんだと思うんですね。ゴムは、伸びっぱなしだったらボソボソになるけど、伸びてもいい、伸びなきゃ能力も伸びない、でも、伸びたら縮む、しっかりゆるめて休んで、バランスを取る。

戻せるんだって分かっていたら、どんなにでも頑張れるでしょう。「頑張る」ことが、強迫観念じゃなくて、楽しいからやる。それは、もしかしたら、頑張るとは言わないかもしれない。

「我を張る」ガンバルじゃなくて、「願い」ね。みんなが幸せになるといいな~とか、楽しくなるといいな~とか、「願いを張って」、ガンをハルようにやると面白いかなと思います。




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インタビュー全文はこちら

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