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2017年10月16日月曜日

十五夜さまとどんぐり拾い

10月6日のへのへのわらべは2日遅れての十五夜さま。

秋の野の草を摘んで「いけばな」をして、お月見団子をつくりました。


みんなで活けたお花をお供え


まずはお散歩に出て、秋の草摘み。
お隣のおばあちゃん、子供たちのにぎやかな声に喜んでくれました

お花ロードへいこうとしていましたが、自然と裏山のお宮様へ

立派なご神木があります

青いどんぐりがいーっぱい

まだ真新しいどんぐりを、みんな夢中になって拾いました。


この日は参加していた我が家の長男も、もう散々やってきたはずなのに、
最後まで集中して拾い続け、、、、、、、




子供たちが、どんなささやかなお花を摘むかな~と楽しみにしていましたが
どんぐり拾いで満たされた子供たちは花に見向きもせず、、、、

けっきょく母たちが摘むことに。




持ち帰った花をいけてみる

でも、その辺の小さな草花も、生けてみるとまるで違った風情をかもし出します。

そんな雰囲気を少しでも感じてくれたらいいな。



お待ちかねのお団子作りはみんなおお張り切り!

かぼちゃペーストが多すぎてベットベト、、、

おもちのほっぺの3人がお団子にかぶりつき



しかし十五夜のお月様は本当に美しかったですね。




雲ひとつない空にドーン!というのではなく、 流れる雲から見え隠れ・・・・


あの風流な月を愛でるというのが、日本人的だなぁとつくづく思います。


小さい子がいると、日々の生活でいっぱいいっぱい。
季節の行事もなかなかできませんよね。

かくいう私も「金曜日にやるからいっか~」なんて十五夜当日のお供えをサボリまして、、、
そうしたら祖母宅でステキなお供えを見てきた森に
「うちのお供えちゃんと作った~?!」と叱責?されまして、、、
翌日せっせと準備をした次第です。


完成した室礼(しつらい)をみた森、「ステキだね」と。


母としてはそう思える5歳男児、ステキだと思いました。


昔の日本家屋は、床の間があったり、縁側があったり、
季節ごとに室礼(しつらい)をする風習があたりまえにありましたよね。


ちょっとした季節の草花を飾る、そんな気持ちも大切にしたいです。



幼い子供がいるとなかなかできない季節の行事も、みんなとなら楽しめる。


この機会をへのへのわらべではやはり大切にしていきたいです。




話は戻りましてどんぐり拾い。



どんぐり始め、子供たちって本当に夢中になって何かを拾ったり集めたり。

いったいそれはなんでだろう?とあらためて考えてみました。


「単純に楽しいんでしょ」と旦那さんは言い捨てますが(笑)
つい理屈をつけたくなる私。



子供ってまだ本能的な部分がすごく多くて、女の子も男の子も集めるけど、
やっぱり男の子のほうが夢中になって集めるところをみていると、

「本能を満たしてる」のかな、と。


集めたい、拾いたい、征服したい、よりたくさん、できるかぎり。


その先の用途とか、企みとか(笑)はまだあるわけじゃなし、
ただ単純にその思いなのか衝動なのかを満たしたいのかな、と。


もうちょっと年をいくと、集めたがるカードだの、征服したがるゲームだのの
走りというか、原型というか。


なんとなく、そんな気がしました。

まぁもりは3年やってもまだ満たされないみたいですが?!



私は強く思うんですけど、3歳ぐらいまでの子供たちにはなるべく欲求不満は
残したくないなぁと。

思う存分やりとげたらたら、きっと満足してその先にいける。


たくさんの甘えも、けんかも、どんぐり拾いも。


あらためてそんなことを思った、秋の十五夜さまでした。

2017年3月28日火曜日

泥んこ3年

2歳からのたねっこ。
2年で卒会してからの、根っこの子。

見事にいつも泥んこだった君。

たねっこ時代は年下に羨望?の眼差しでも、
根っこでは年上から、「汚ねぇな~!」の罵声でも、
女子たちからは、冷ややか~~な視線でも、


まったくひるまず、泥にまっしぐらだった君。
毎日、毎日・・・




洗濯板で、洗えど洗えど泥水・・・なズボン。


あっという間にボロボロになる・・・リュック。


母さんは夜中に泣きながら、罵りながら外水道でゴシゴシした日もあったよ・・・・。



雨の日にカッパを着たまま、川の中で座っているときは驚いたし、
泥がつきすぎて着ぐるみ状態になってたときは、さすがに笑った。


木から垂れるしずくを飲む、の図


誰もがなるべく固くなっている畦道を歩くのに、君一人だけ、
ぐっちゃぐちゃの場所をあえて歩いている姿を見て、言葉を失ったよ・・・



「どろんここぶた」か、石田森か。。


小さな水たまりも、君たちには大いなる遊び場


でもどんなときも、そうして地球と戯れる君。やっぱり母さんは・・・・・好きだ!





つい力強く握ってしまう、のよね・・


顔に落書き、油性ペンとか、ヨウシュヤマゴボウとか・・・



仲間とうまくいかない日もあった。

でも君は君のままでいた。


構わず君であり続けた。


「構わずあなたでありなさい」といつも思っていたけれど、
さすがに凄いな、と思った。



でもそうとしか生きられない君が、君なんだよね。

だからやっぱり母は、それでいいと思う。
そしてやっぱり、そんな君が好き。



3年間、たくさんの経験をしたね。
私もたくさん学んだよ。


「仲間」や「みんなで」って母はじつは一番苦手分野だった。


でも子育ては、たくさんの人の手をかり、目をかり、愛をもらって、
初めてできるんだって気がついたよ。


そして私は最近気がついたけど、君はきっともう知っているね。



不器用だけど、君の中に、仲間達が生きてる。


みんなにもう今までのように会えないと知って落ち込んだ君。


でもきっとこれからも大丈夫。


お世話になった全ての人たちに感謝の気持ちを忘れずに。


また一緒に歩いていこうね。

風と遊んでいたのかな?

泥んこ3年お疲れさま。


そして、ありがとう。


君が泥んこでなくなる日が来るなんて、今はぜんぜん想像できない。

2017年1月22日日曜日

篠秀夫先生

悩める子育て母の、まさに「先生」!
念願の篠秀夫先生をたねっこ主催でお呼びし、ワークショップをおこなっていただきました。




先生のプロフィールはこちらから。http://www.geocities.jp/nenemu2001/self.html

今回はシュタイナーの提唱した「四つの気質」をメインにお話をお願いしたのですが、
それ以前に、ひとつの命としての子供を理解するうえでもっとも響いたもの・・・・


子供は母である私から産まれ出た命であるけれど、
けっしてそこから始まった命ではなく、
何百万年と続いてきた命の記憶を持って、また生まれてきたものであること。

私の続き物ではなく、一つの意思と役割と特徴を持って生まれてきた命であるということ。

そんな本当に根本的なところが、なんとなくわかっちゃいるようで忘れてしまう、
それをあらためて気づかされました。


母が望むようにではなく、母がその子にするように、その子は育ち、
母のやり方で大切にするのではなく、その子が大切にしたいものを、大切にしてあげる。

その上でも、気質を理解しておくと、ただ闇雲に子供を否定したり、
母が自己否定に陥ったりせずに済むなぁと。

たとえば我が子森くん。
楽しいこと大好き、向上心や競争心はあまりなく、みんなとワイワイするのが好き。
典型的な多血質です。

そんな彼に、学ぶことや達成することに喜びを見出す胆汁質の子が望むような
教育的なことや、スポーツなどをやらせても、彼の命本来は喜びません。

じっくり観察することや、静かに一人で遊ぶことが好きな憂鬱質の子のように
なって欲しいと願っても無理なお願いです。

いつもほがらかで、ちょっと控えめで、食べることが大好きな粘液質の子のように
ほんわかしていて欲しいと願ってもイライラするばかりです(笑)


たとえば日本の1年には四季があるように、春は軽やかな多血質、
夏は情熱的な胆汁質、秋はメランコリックな憂鬱質、冬は鈍長な粘液質的、

人生においては、幼少期は多血質、思春期は胆汁質、壮年期は憂鬱質、
老年期は粘液質、

というように移り変わるものだし、
また状況によって、どれかが強く出たり、また弱まったりするものだそうですが、
根本的に自分やわが子が強くもっているものがわかれば、
自分も自分以外の人も理解することができるようになります。


また全ての気質は全ての人が持っているものであり、全ては補いあい、
どれかが弱ければどれかが強くなり、そのバランスをとりながら
その命の恒常性を保つものであると理解できると
何かを否定する必要もなくなる。

そして色んなことが、自分の至らなさのせいではなく、気質の違いによるものだったりすることに
気づかされます。


子育てをしていると、どうしても狭い狭い世界に入り込みがちです。
そんなとき、第3の視点を持てると、気持ちがとっても楽になります。
笑ってられる母ちゃんになります(笑)


「7歳までは夢の中」・・・・・

まだまだファンタジーの世界に住んでいて、私達大人には見えない、感じることのできない
本当にたくさんのものを、日々全身で吸いとっている子供たち。


子供たちの生きている世界は、私たち大人の生きている世界とは
根本的に違うものです。
やっぱり、大切にしてあげたい。。。



母のイライラは、理由のなき怒り、それは体の緊張によるものだそうです。
産前産後の女性の体は、本当に繊細で、自己コントロール不可能な領域の
完全に野生的な状態です。


古代、森の中で子育てをしていた人間は、妊娠子育て中、肉食動物から
わが身と我が子を守るために、密かに密かに生きている必要がありました。
なぜならその時期の母親と子供は、とてもいい匂いを発しているのです。

気持ちが外に外にいかないように、その時期の母親というのは
気持ちが内向き、今で言うと欝っぽくなるのは命をつなぐ必然の働きと
いえるというのです。

でも現代の母は、出産直後から、それ以前と同じような生活を強いられ、
世間一般的に「生産的」でいること(いわゆる早い社会復帰)すら求められますが、
それは本能的にムリなことなんですね。


日本という社会は、根本的に競争による経済的生産性を求めるように教育され、
明るく協調性があることが好意的に見られ、極端に胆汁質的、
多血質的であることを肯定される社会であると、先生もおっしゃっていました。

子育てという、そういった範疇とはまったく異なる世界に突然身をおく
現代の母達は、評価も報酬も一切ない、急に「生産的でない」自分に不安を感じ、
子育てという現実に、否定的な気持ちを持ってしまう人がとても多いと
思います。現にわたしもそうでした。


わが子を育てること以上に意義のあることなどないはずなのに
評価や報酬で自分を確認できることを求めてしまう、、、、


それは本能的なものと、社会的なものの大きなズレによるものだった
んですね。

先生の話を聞いて、とても納得してしまいました。



それによって体に緊張がたまり、イライラが募る。

それが流れ的に自然とわが子へとぶつけられる。
もしくはパートナーの旦那さんか・・・


でも環境や社会状況を変えることは、そうそう容易ではありません。


まずは自分の体の緊張に気づいて、それをゆるめることも
大切だなぁとつくづくまた思いました。

やっぱり和みのヨーガも復活しよう♪
とまた思わされました。
ガンダーリ先生と篠先生もお友達ですしね♪



他にもたくさんたくさん、母として学びになることをたくさんお話くださいました。


ところで私は、何気質でしょうか・・・?(笑)


気質を知ることは、視野を狭めることではなく、新しく知ることに囚われず、
また世界の面白さを知れるきっかけであること、本当に感謝しています。




参加してくれた母達にも、少しでも励みになるものでありますように・・・

ありがとうございました。





2016年12月21日水曜日

無条件の愛

第2子ゆら誕生から2年、本当に余裕のない月日があっという間に過ぎ去りました。

心身ともにギリギリのところをいったりきたり、でも今落ち着いて振り返ることができるのも、
日々傍にいて生きてくれる夫があり、支えてくれる母、義母、そして友たちのいるおかげだと
つくづく思います。


壮大な振り返りなのか愚痴なのか。
でもこれをしないと、来年進めない気がして、ちょっと書きます。



子育て、がこんなにとてつもない経験だとはゆめゆめ知らず(笑)
憧れだけで始まってしまった田舎生活も・・・・・同時進行で。


ぼっとんトイレを使うのが怖くて、用も足せないヘタレだったワタクシが、
コンポストトイレを日常的につかい、後始末もするようになるとは。

今更ながら、なんでも水に流せる水洗トイレがこんなに
生活を楽チンにしていたのだとは知らなかった。


アフリカに旅行に行ったとき、洗濯が手洗いで大変だなぁと他人事だったはずなのに、
毎日外水道で、洗濯板片手に泥汚れをゴシゴシするようになるとは。


子供達は外に一歩出れば泥がつき、土のつかない日などない毎日が
こんなにしんどいとは。

黒人さんたちがピカピカの靴を誇りに思うのも、なるほどなぁ~
と妙に納得してしまったり。



古い家はすぐにホコリはたまるし蜘蛛の巣ははるし、
油断してるといろんな生き物が住み着くし(笑)

ここは千葉県なのになぜか冬は連日氷点下、
去年はなんと-8℃まで下がったり、、、


家事も大変、子育ても大変。

でも一番しんどかったのは、やっぱり目の前の「なすべきこと」に自分が占領されて
余裕がないばかりに、子供達を見れない、傷つけたり踏みにじったりしてしまう、
そんなことだった。



秋の長雨で、山のようにたまった洗濯物・・・・・・

久々の晴れ間の出た朝、キラキラのお日様の光が家の中にはいりこみ、
それを見たもりが「みてーおかあさん、おひさまだよ。ピカピカでおいしそう!
いっしょにたべよー」
といって口をパクパクさせている。
本当に美しい光景なのに、なんて可愛いことを言うんだ、と思っているのに、
私の心を占領しているものが、イライラと
「なにくだらないこと言ってんの。おかあさんは洗濯物で忙しいから、そんなことやってる
時間ないの!」
と言い放ってしまう。
言いながら、心の中では大泣きしたい気分だった・・
だけどきっともりは、もっともっと泣きたい気分だったに違いない。
取り返しのつかないことを私はしてしまっている・・・ただただ苦しかった。


外にでないと洗濯もできない、ニワトリにえさもあげられない。

でも外にでるとすぐに「おかあさん~~どこ~~~??」
「ママァー、 だっこ!だっこ!」と
こどもたちの声が追いかけてくる。

またたまってしまった泥汚れを、悪化した手湿疹が腫れて切れ切れの手で
ゴシゴシしている目の前で「ママ~~~」と甘えた声で可愛い子が近づいてきて、転ぶ。
ドロドロ・・・

母を求めて出てきたのに「もう、家の外に出てこないで!!」と
ぜったい無理なことを冷たく言い放ってしまう。


9月にもりが原因不明で入院したこと。けっきょくすぐ退院できたものの、
ずーーっと立ち直れなかった。
私が原因とわかっていても、どうしても変われない自分がいて。


夜中の授乳はもちろん、ストレス過多で夜もよく眠れないことが増えて・・・

毎日毎日泣きたい気持ちで、必死で、藁をもつかむ思いで、どうにか自主保育に
通っていたけれど、家では怒り顔か泣き顔の日々・・・

「おかあさん、どうしたらニコニコしてくれるの?・・・おかあさん、・・・だいすきだよ」

といつも怒ってばかりだった私に優しく言ってくれた森・・・


思えば私は森に愛されていないんじゃないかと、いつも心のどこかで疑っていました。
一時は本気で義父母のほうを好いているんじゃないかとすら思っているときもあり。
ゆら出産後は森との関係はますます悪くなり、
朝目を覚ませば「おとうちゃーーーーん」と号泣し、朝早く田畑に夫が出ているときは
泣き叫びながら外に飛び出してしまう有様でした。
苦しい苦しい時期でした。

それでも少しずつ氷は溶けてきてはいたものの、私も正直、ゆらが産まれてから
その前まで森に感じていた愛おしさが消えていて・・・・・そして入院。
もりが全身全霊で私を求めてきて・・・・・、こんなにも私を必要としていたんだ、
という圧倒的な強さにただただ驚きました。

それでもまだまだ良い関係、とまでは言えなかった。
だけど私もやっぱり必死でした。
わが子を愛おしいと思えない、辛さ。どうにかしなくては、ともがいていました。



その後、またくだらないことで怒りすぎてるなぁ、とあまりにも酷い自分に泣かずにはいられず
庭で顔を伏せて泣いていたら、
「おかあさん、どうしたの?ないてるの?ねぇおかあさん、泣いてるの?」
と聞いてきて、
私が泣いてるのがわかったら
「・・・・もりくんが、泣き止むまで傍にいてやるよ」って、私に優しくもたれてきてくれて。

そのわきで「ゆらちゃんも、ゆらちゃんも」とゆらも必死に私をさすっていて・・・・


なんでこんなに優しいんだろうって。


「私を苦しめる存在」とまで、一時は思いつめてしまった子供たちが、
なんでこんなに優しいんだろうって。


本当に魂の底から救われた思いがしました。
 

こども達の母への無条件の愛、母をまるごと愛してくれていることに気づかされ、
私は、この子達のお母さんなんだ、と、母となって4年たち
ようやく思えたのかもしれません。
と同時に、森が私を愛していないかもしれない不信も、ようやく完全に払拭されました。
ごめんね、愚かな母でした。


ゆら2歳を機に授乳も終え、ようやく、素の自分にまた戻れた気がします。


もちろん、自然豊かな田舎に暮らし、古いお家に住み、ニワトリがいて、
自然の中で生活するということは多くの気づきがあり、豊かさがあり、
恵みがあり、それをレポートする余裕がないのをとても残念に思っていました。


来年はいろいろと新しいことが始まる年になりそうです。

この1年を経て、私も少しは成長できたのではないかと、
今は思います。


可愛いかわいいこどもたち、本当にありがとう。
心から、愛してます。
本当に、ありがとう、ありがとうありがとう。

これからもお母さんもあなたたちと一緒に成長していくからね。


その一方で?父ちゃん自然農もがんばってます!
ことしは小麦も自給でき、美味しい小麦粉が食べられるようになりました。

来年からは私も田畑に復帰します、また田畑日記もお楽しみに!!


よいお年をお迎えください。


















2016年2月4日木曜日

柊鰯

2日に念願の?節分飾り「柊鰯(ひいらぎいわし)」を作りました。
(あわいろ森の保育園とコラボ企画)


これを家に飾れば鬼が来ない!と昔から作っていたものだそうですが、
目にしたことも無ければもちろん作ったこともなく。

柊の葉はチクチクして嫌だし、鰯の焼く臭いが鬼は嫌いなんだってー。というだけじゃなく、
柊は木へんに冬、と書くので冬の寒気の象徴という意味も含むとか。


鬼はなんでトラ柄のパンツをはいてるん?ということも疑問に思ったことすらなかったけど、
鬼は鬼門に住んでて、丑寅の時刻(真夜中)に、丑寅の方角(北東)からやってくる、
だから牛の角とトラ柄のパンツを履いてるんだってー、なんて母たちも学びつつ。


豆を投げるのは「魔滅」と響きが似ているからとかなんとか、諸説あるみたいですが。


日本人として日本のことをあまりにも知らない私。
日本の行事をただのイベント、じゃなく、こどもたちとしっかり味わいたい。

行事を通して四季のうつりかわり、大気のうつりかわり、日本の美しさや心を感じて、
そして私たちも自然の一部であり、自然に生かされているということを感じたい。

と、昨年みんなで梅干づくりをさせてもらって、自分のやりたいことがはっきり見えて。

それをどう実現できるかなぁと悩んだけれど、同じ八街で思いを共有してくれる友がいて、
のんびりとやっていけることになりました、とてもありがたいです。
small is beautiful.


旧暦のことももっと勉強したいなぁ。
春夏秋冬、土用の時期はやはり心身もバランス崩しやすい。
でも自然の一部である私たち、それも必要なのかもな、とも思える。
私の気も、大気も、つながってるから。

とりあえず、「鬼は外!」と子供たちに豆を投げつけられないように(笑)


そして節分の翌日、今日は立春。
まだまだ寒いけど、大地は少し、動いてきてる気配。
うちのウコッケイちゃんたちもそろそろ卵を産んでくれるかなぁ~
今日は家の外に出たら梅の香りがしました。
まだまだ寒いけど、きっと春はもうすぐ。

2015年10月28日水曜日

子供は自然そのもの。2015.07.01

そのうちまた、鬼から人へ戻れなくなった時の母(自分)のための備忘録。(息子3歳目前、娘8ヶ月)
==================
子どもは自然そのものだ。
自然は朗らか、自然は残酷、自然は美しく、自然は癒やし、破壊し、そして絶妙に調和する。

自然はユニークで、自然はユーモラス、自然は太陽と水が必要で、自然は野放図に成長しようとし、自然はただその命を全うせんとする。
自然相手に、ちっぽけなニンゲンのコントロールなどきくはずがない。
自然はコントロールされるのが大嫌い。コンクリートを敷き詰めたって、突き破って出てくる生命力、それが自然。
それを忘れ、ついコントロールしようと試みる。
が、それは大波に飲まれているのに、必死で抗っているような、無力さと、苦しみ…。
残されるのは、ただただ徒労のみ…。
母になると、子をひたすら守ろうとするものだ。
時に人はそれを母性愛という。
でも本当に「愛する」というのは、その相手を「守る」ことではなく、その相手に「自由をあたえる」ことだ、という。
これは本当に難しい。でも私は真実だと思う。
でもそうだとしたら、動き出した自然たちにとって、母性愛など単に母親たちの自己満足に過ぎず、ただ鬱陶しいに過ぎないのかもしれない。
「木の上に立って見る」、それが親。
昔の人はエラい…
母親なんて勝手なもので、子のためなら自分の命など全く惜しくないくせに、自分の予想や期待とおりにならないだけで、気分を害し、憎くく思ったりするもんだ。
自然農の師匠・川口由一さんは、自然農の実践にとって大切なことは、自然にたいし「添い、応じ、従い、任せる」ことだと言う。
子育ても同じじゃないの?とダンナはんは言う。
そーんなこと仰いますが、ウンコのついたお尻でふかせてもらえずウロウロされてみてよ!
それに添い、応じ、従い、任せるって!?
と反発してみても、結局そうするしかないのだ、相手は自然だから。
自然に教わることはあっても、
自然に教えることは何一つなく、
自然をジャッジすることも、
ましてや征服することは決してできない。
野菜も群れて育ちたいものあれば、最初から一人でかなりのスペースを欲しがるものあり、つかまりたい、絡まりたいのもあれば、一人スクと立ちたいのもあ り、下に伸びたいものあれば上に伸びたいの、横に這いたいのあり、次々実をつけるのあれば、一生に一つしか実をつけないのもある。
野菜ですら?この豊かな個性。子供はこの全ての個性をあわせもち、時々でいろんな側面をかいま見せたりもする。
私たちにできるのは、ただその個性を認め、添い、応じ、従い、任せるしかない。
ニンジンにオレンジ色であることを責め、キュウリに絡みつくことを怒り、ゴーヤが苦いことを変えようとする人はいない。
しかし頭じゃわかっちゃいても、毎日毎日イライラ、ガミガミ。
小さな存在に圧倒されて、感情を征服されてばかり…
。
ふと握った手のあまりの小ささに、ハッと我に返り、心臓を握りつぶされる思い。
その繰り返し。
咲いたばかりのチューリップを根こそぎ花首おられても怒るまい。
自然にとっちゃタンポポもチューリップも同じ花。
ベトベトの手で拭いたばかりのガラス戸をベタベタ触られても怒るまい。このトキしか見れない、期間限定のアート作品だ。
掃除機をかけた直後に、虫や葉っぱを家の中で散らかしても怒るまい。
自然にとっちゃ内も外も境界はない。
甘いものばかり食べたがっても怒るまい。アリもハチもカブトムシもホタルも、苦いものより甘いものが好きなんだ。
寝たばかりの妹を起こしちゃっても怒るまい。
怒ったところで後の祭り…
「オニはそと~!」と言ってぬいぐるみを投げられても怒るまい。
確かにそこに、鬼がいた…
怒ったところで何一つ良くなることはなく、冷静になれば、怒るほどのことはそうそうない。
と、頭じゃわかっちゃいても、つい怒りまくる小さな自分。冷静になり、ごめんね、と言うと、ごめんねと返す子。
小さな子同士のケンカと一緒。
でもやっぱり人の子、シツケは必要!?
じゃあ動物を見てみよう、コトバで子供は躾られない。親の生き方、姿を見て真似るのみ。
坂本フジエ婆さんはそれを「感化」といい、真弓定夫先生は「親が成長する姿を見て、子供は勝手に成長する」と言う。
けっきょく、自分が成長するしかないのだ。全て自分次第。
あぁ無情…!?
かわいい可愛い子供たち、母を毎日育ててくれて、ありがとう。
どうしようもない、怒っても、母はお前さんたちのめちゃくちゃな自然さを、どうしようもなく愛してる。
そしてきっと、あなたたちも母を許し、愛してくれて、ありがとう。

2010年10月20日水曜日

印旛とくべつしえんがっこう

「あそこには障害児が二人いるからけっこう大変なんだけど、
 がんばってね」

1年半前、ふとしたことから学童保育で働くことになって、面接に行った時の
保育士さんの言葉。

「ショーガイジ?!」

正直、わたしみたいなど素人がそんな大変なところに行って
大丈夫なわけ???と戸惑いました。



その時わたしの中で‘障害児’といえば、日常的なことすらままならない
介助の必要な子というイメージしかなく。


でもそこにいたのは重度の知的障害や肢体不自由な子たちではなく、
見た目はなんら普通児と変わらない、
発達障害の子どもたちでした。


集団行動ができない。

避難訓練をしても、一人動かずもくもくと絵を描き続ける子・・・
運動会のリレーで、バトンを受け取ったとたん、逆方向にダッシュしてしまう子・・・


怒りを抑えられない。

お友達に暴力をしてしまうのを押さえつけられると、
外に飛び出して、傘で生垣の花を力いっぱい叩き落とし続ける子・・・
コンパスの針を、ザクザクとケースに刺し続ける子・・・・
ガルルルル~ガルルル~と呻きながらのたうちまわっている子・・・・


突然後ろから背中を思い切り蹴られたり、

「石田きもいんだよ、死ね。早く墓場に入れ」
などの暴言・・・・
でもさんざん言い尽くせば、「石ちゃんごめんね、ごめんね。」
と甘えてくる。





すべての人は、自分の鏡。


だとすれば、
この子達はみんな私の鏡なんだ・・・・・・・と、


いつも胸が潰されそうになりながらも、

愛しくて愛しくてたまらない思いが込み上げてくる。


健常児のこどもたちも、どの子ももちろんとってもかわいい。

でも普通の人が想像できないほどの、困難さと混沌の中に生きていながら
この子達の放つ、透き通るような輝き。

わたしはもう、すっかりその虜になってしまいました。



この子たちのことをもっと知りたい!
どうしてそういうことをするのか、理解したい!
どうしたらこの子達を支援できるのか、学びたい!


そうして、図書館でたくさん本を借りてきて読んだり、
研修会に参加していくにつれ、彼らのことを理解していくのは
つまり、やはり、自分自身のことを理解していくことと
まったく同じだったことに気づきました。


大人というけれど、
親というけれど、
先生というけれど、


いったい'大人’な私たちは、
どれだけ自分自身のことを知っているんだろう?

どれだけ生きることの本当の意味や、真理や、いろんな感情について、
自分の人生について、命について知っているんだろう?



もっともっと、彼らのこと=わたしのことを知りたくて、
きちんと資格を取って、仕事をしてみたい、と思うようになりました。


残念ながら保育士の国家試験は今年は落ちてしまいました・・・・が、
来年また再チャレンジ!

それまではボランティアで、何かできればと、講習会を受けて、
実践研修に印旛特別支援学校へ。


特別支援学校というのは、ちょっと前までは「養護学校」と呼ばれていた
学校です。


さすがに前日は緊張してあまり寝られなかった・・・・
でも着いてしまえば、子どもたちの中に入ってしまえば、もう大丈夫。
初回ということで学校も考慮してくれたのか、高等部の生徒会長がいる
クラスで、本当に介助が必要な子はダウン症の子一人で、
あとは自力通学しているような子ばかりの教室でした。

ちょうど文化祭前ということもあり、朝の1時間目の体育(3週走った・・・・
先生方はやはり体力すごい!)の後は、一日、文化祭の準備。

わたしは「紙工班」で、緘黙(かんもく)の高1の男の子S君の補佐に。

紙工班は、牛乳パックの紙を再生して、新たに紙をつくる一連の作業を
手分けしてやっていました。
(すごい!)

S君は、ドロドロになった牛乳パックの紙を、2つのジューサーミキサーに入れて、
スイッチをいれ、1分のタイマーをセットして、ピッピッピと鳴ったら
中のものを、ざるにあける。
という一通りの作業をします。
手順はぜんぶわかっているので、わたしは補佐というほどのことは
しないのですが、
S君、緘黙なので、いっさい言葉は発しません。

ただ、ひとつの作業をするごとに、クルンと一周からだを回転させたり、
両手で指をならすような形にして、いろんなところ(壁や床や
柱など)をタッチしたり、
トントン、トントン、と蛇口を閉めた後、蛇口に「おつかれさま」
とでも言っているように指先でかるーくいろんなところをタッチ
します。

さいしょは「へ??」と思い、じっと見ていましたが、
そのクルン、チョンチョン、トントン、の動きを、とても楽しそうに、
ニコニコしながら、優雅に、するんです。

もうそこだけ、S君のまわりだけまるで別世界。

ひとつの作業をするごとに、クルン、チョンチョン、トントンを
繰り返すので、1分ジューサーを回すだけのことも、けっこうな
時間がかかります。

しかも大人にかまって欲しくて、ちょっと違うことをやってみたり、
人のことをちょっかい出す振りをしたりするので、さらに
進みません。

でも注意を受けると、またうれしそうに、ニコっと笑って、
作業に戻ります。


S君がニコニコしていると、わたしもとっても幸せな気持ちになりました。

S君は、チョンチョン、トントンしながら、まるで自分の周りの
すべてのもの(どんな無機物でも)と交信して、調和しているような、
そんな感じがしたのです。


でもS君のお母さんからの連絡帳には、
「いけないことをしたら、もっと厳しくしかってください。」
と記載されていて、先生たちは「困ったなぁ、厳しくしても意味ないよ・・・」
とおっしゃっていて、
障害を持つお子さんを育てる、親御さんの苦労という現実と
先生たちの思いとの軋轢のようなものも・・・


さすがに先生たちも、普通の学校の先生とは違って、
厳しいながらもおおらかさを兼ね備えていらっしゃり、
この中で学習できる子どもたちと、困難を抱えながら普通学校で学習することでは
子どもの感じるストレスや如何に・・・・とまた思いました。


1日を終えて、さようならの挨拶の時、
高校3年生の女の子Eちゃんが、わたしの袖を無言で引っ張っていました。
何か言いたそうなんだけど、モジモジしていて、何も言い出せないでいると
担任の先生が
「Eさん、それはおかしいですよ。何かいいたいことがあるなら
 石田さんにきちんと伝えないと、伝わらないのよ」というと
「また来てください」
と言ってくれました。


コミュニケーションをとることの困難さを感じているのは、きっと
この子だけじゃない・・・。
わたしのほうが、よっぽども下手かもしれない・・・



障害があろうと、なかろうと、

多かれ少なかれ、わたしたちはみんな、いびつな存在で。

みんな、いびつなりに必死に生きているんだなぁと。


子どもたちに本当にたくさんのことを教えてもらいます。

2010年9月8日水曜日

うまれる

私の行っている学童保育には、私より年下のお母さんもけっこういるので
私にこどもがいないことを、不思議がる学童も多く、

「せんせーあかちゃん、おなかにもう入った?」とか
聞かれたりします。



「こどもほしい?なんでいないの?」

と聞かれたので、、

「どうやったらできるんだろうねぇ」と軽くかわすと

小4女子。まじめな顔して



「・・・・・パソコンで調べてみたら?」

とひとこと。

あ、はい。。



太鼓仲間の現在小6のG君は、まだほんと幼いころ、お母さんが
「Gはどこから来たの?」と聞いたら

「お星様に乗ってきたんだよ。」と真剣に答えたとか。

しかも最初きたらママしか見えなくて、仕方なく引き返したんだけど
もう一度きたらパパもいたから、ようやく安心してきたんだ、って。



いつか私のおなかにも、星の王子様が来てくれるかな。


すごい映画ができたみたいです。


じぶんが出産する前に、観るのはなんだかとても怖いような・・・
でも観たい・・・




予告編



生まれたて写真館
はすごいです。


わたしたちは、お父さんとお母さんを選んでうまれてきたんだって。



しかしなんで最近の男子(おっさんも含)はこども欲しがらない人が
多いんでしょう?!


動物的本能だと種を残すというのは大切なことでしょう


うちの畑のちんちくりんの枝豆だって、せっせと実をつけて
種のこそうとしてるのにさ。


なにかが変だ。




うーーん。


もちろん子供つくることだけが、すべてじゃない。

他の使命をもっている人もたくさんいると思う。



でも留守中ペットのために一日中エアコンつけて、
地球温暖化に貢献している姿とか・・・・


うーーーーん。




でもまぁとにかく、うまれてきた奇跡に、感謝したい!

ありがとう♡

2010年6月23日水曜日

オトコのこ

男の子っておもしろいなぁってつくづく、学童でこどもたちを
見ていて思うようになりました。

最近は、みんな虫かごを持ってきて、カエルやらトカゲやら
つかまえては、嬉しそうに虫かごを覗いていて、
迎えに来るお母さんたちをギョっとさせていますが、
ある日2年生のKくんがザリガニを持って帰ってきました。

ザリガニかわいいよねぇなんて話していたら
お母さんがお迎え。
「オトコのこって面白いですよねぇ」って
お母さんが言うから、お母さんもやっぱりそう思うのかぁ
と思っていたら
「このザリガニ、おともだちからレンタルしてきたんですよ」
だって!
2,3日レンタルして、楽しんだら返すらしい(笑)


ある日の宿題の時間。
宿題をしていると思いきや、机の下に隠している本を
チラチラ、チラチラ覗いているオトコのこ。

何の本だぁ?っとコッソリ見てみると、
「プロ野球選手図鑑」・・・・(笑)

プロ野球選手の顔写真とプロフィールがズラリと並んでいるやつね。

チラッチラ、チラッチラ顔写真を見ているわけですよ!!


宿題をやる振りをしてまで・・・・


女の子から見るとフシギでたまらない、オトコのこって・・・。


女の子はもう、物心つくとすぐにおませちゃんになってしまう。

そして、あっちでもこっちでもイサカイを起こしているわけですよ。


その点、男の子ってほんと邪気がない、まさに無邪気。

ケンカしても、パーーっとやってすぐ終わり。

女の子は2年生だろうと、ネチネチ・・・・(笑)


大人になってもあんまり変わらないような・・・・



聖母マリアに例えられるように、女性の純潔さが尊ばれているような気もするけど、
じつは世界は男の人の純粋さに救われているのかも・・・・と、ふと。

女性の純潔なんてもんは、じつは努力しないと獲得できないからこそ、
マリアのような存在が造られ、奉っているのかな・・・、なんて。


なにはともあれ、男性は、いくつになってもオトコのこ。
そんな男の子がかわいくてたまらないです。


2010年2月10日水曜日

石田ばか


石田ばか(きょうぼう) by Kくん(2年)


こんな日も、ある・・・・・・・





子どもの目には、一瞬一瞬の真実がうつっている。


前は「いしちゃん、だいすき」とチューをしてきた子に
こんな絵を描かれて、ハっとわれにかえり
コドモを力ずくで押さえつけようとするオトナのエゴに気づいた。


石田なつき 2月3日

オニは外。