2012年2月23日木曜日

婆ちゃんズ 妊娠編



今年の冬は寒すぎてめっきり畑に行く回数も減ると、おばあちゃんたちに
会えるのが減ってしまいさみしいのですが、久々おばあちゃんショット。

夏は手ぬぐい、冬は手編みのニット帽が定番。

超かわいい。



ところでちょうど妊娠がわかる前の9月くらい、まだだいぶ暑かったころに
例によっておばあちゃんと、休憩にお茶をすすっていたところ、突然、

「おめぇら、こどもできねぇな」とおばあちゃん。


!!
あまりの唐突の発言に私も大笑い!
「そうですね~(笑)はははー」と返事すると

「一人もいねえんじゃ、しゃんめぇよ(しょうがないよ)」と続ける(笑)

場合によってはそんな風に言われてショックを受けちゃう人もいると思いますが
私はなんだかその唐突で、あまりにも無遠慮な可愛いおばあちゃんの発言が
可笑しくて可笑しくて笑い転げてしまった。

それに、結婚してからもうだいぶ経つことを知ってくれて気にかけてくれてるんだ、
と思ったらうれしくて。


「いま33か?あっちゅーまにシジュウだべ。
 33っつったらオレん時じゃ しめーの頃(終わりの頃)だぞ」

かわいい笑みを浮かべてのたまうおばあちゃん。


「そうですよねぇ、赤ちゃんできるといいなぁ」なんてお返事したら
やってきてくれたんですよね。


かくいうおばあちゃんの所にも、来月初めての曾孫さんが誕生予定♪

本当にことし出産が多いですよね。


3.11で被災して亡くなられた方が多いことが無関係ではない気がします。



そんな話をしてけっこうすぐに授かったものだかたら、おばあちゃんも
すごく喜んでくれて。



久々にお会いしたら「よかったなぁ」と言ってくれて、やっぱり
「ひとりもいねぇんじゃ しゃんめーからな」と笑う(笑)


「(予定日)おめぇんとこは4月だったか?」と聞くので「7月ですよー」というと

「ずいぶん遅くなっちまったな」だって(笑)


遅くなったわけじゃないよ、最初からだよーと言っても聞いてないし(笑)



また妊娠がわかってすぐの頃、さむーーーい日に畑で会った、下なえん婆さん(下の家の婆さん)。

「さみぃなぁ。こうサミィとやんなるわ」とめずらしく浮かない顔をしていたのですが、
なんとなく自然と赤ちゃんの話になって、うちにも授かったというと急にパァ~っと
明るい表情に。


婆さんはツワリが酷かったらしく、さんざんどんなに辛かったか話してくれて
嫁ぐ前だったら家のすぐ近くに医者がいたから、そこに行けば

「ツーといえば ハーだったのによ」

でまた私たちは爆笑。
さすが田舎ではツーカーじゃなくて、ツーハーらしい(笑)


私がツワリが全然無いというと、ちょっと怪訝そうな顔をしていたけど
やたらに眠いよというと、またニンヤリして

「そらできてるわ」


だって(笑)


婆さんもとにかく眠かったらしくて

「ピーナツもじきながら眠くて眠くてよ。休んでいいって言われたら
 そのへん突っ伏して、ゴンゴン ゴンゴン 寝たもんだ」って(笑)


いやーこの 「ゴンゴン ゴンゴン寝る」って表現があまりにもピッタリすぎて
恐れ入りましたわ(-_-)゜zzz…



そして石田家のことし100歳のおばあちゃんも喜んでくれて。

「あたしらん時なんて、食べるもんがなかったからよ。
 町に買い物行ったって、なんせなにも売ってないんだから、どうしょもないよ。
 何食ってたんだかねぇー へへ」だって。




ほんと、今の妊婦さんたちは食べるものが溢れてるから「太るな太るな」って
言われるけど、昔の人は食べるものが無かったなんて、いまじゃ想像することも
難しいけど・・・・


かわいい婆ちゃんたちと、かわいい赤ちゃんの対面も待ち遠しいな。


とにかくおばあちゃんたちには笑かされます。


これぞ天然ボケ?!

なんて言ったら怒られちゃいますね(> <)


とにかく過酷な時代を生き抜いてきた内に秘めた逞しさに、どこか尊敬の念を
抱かせてくれる自然体なおばあちゃん達が大好きです

2012年2月21日火曜日

ガンダーリ松本 インタビュー

ガンダーリ先生のインタビュー連載がこちらに掲載されています。

あらためてどの言葉も私は腑に落ちることばかり!


インタビュー記事はかなりの長文なので、以下に抜粋させていただきました。
(抜粋もかなり長いけど、、、、)

ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご一読ください。



○ ○ ○ ○


(幸せ創造劇場について)

私達は体験を通してしか学べないんです

例えば、泳ぐことは、どんなに泳ぐための本を読んでも泳げないじゃないですか。でも、一度、水に浮かぶという体験をすると泳げるようになるでしょう。そういう体験を一緒にする大切な「場」なんです。






私達は、体験が違っていると、同じ言葉を使っていると思っても通じ合わないことがあります。

言葉というのは「事の端」「体験の記憶」でできているからなんですね。時には、人と人を遠ざけるためにあるのかしらと思うほど、言葉が距離を離してしまいます。それが共通体験を持つことができると、言葉を超えてつながる瞬間があるんです。


本当は、私達は、目に見えるものとか、音に聞こえるものとか以外の、五感を超えたもので、つながっているということがたくさんあるんですよ。でも、現代人はあまりにも忙しすぎて、考えすぎて、感じることは麻痺してしまって、それが分からなくなっています。
つながる体験をすれば本来の姿に戻れると思ったんです。





人に教えることは何もないんです。人は、教えられたことは、あまり聞きません。
昔はそれが分からなくて、一生懸命教えていました。
人は「知っていることしか知ることはできない」のです。知らないことは聞こえてこないんです。自分で気づくしかないんです。





最初は、世界の人を幸せにするためには、「枠を作らないといけない」と思っていました。
素晴らしいルールや制度が必要だと思ったんです。
それは、人を信頼していなかったのでしょう。自分も含めて、人間の「エゴ」なるものを恐れていたんだと思います。



その次は、「人の心を変えなくてはならない」と思ったんですね。
人はどう生きれば幸せになれるのかを知らないと思ったのでしょう。それを知らせて、教えてあげなきゃいけないと。でも、それも違うと思いました。


今は、「人が人に対して何ができるか?」と、問われたら、「何もない」と迷わず答えます
もしも人が人にできることがあるとしたら、それは、「共に在ること」だけなんだと思います。その人がその体験を選び味わっていることを尊重し、その人は「どんなことがあっても大丈夫」という信頼のもとに安心して共にいるだけなんです。







私がこれまでにたどり着いたとてもシンプルな自然の法則があります。
それって、本当は誰もが知っているんじゃないかと思うんですが、みんなあまりの忙しさにすっかり忘れちゃっているんです。

その法則を簡単に言うと、「すべてのものには必ず両面がある」というようなことです。

この世の中は、プラスとマイナスでできている。男と女がいる。温かいがあれば、冷たいがある。不幸があるなら幸せがある。必ず相反する二つのものでできているってことに気づいてもらう為に、「幸せ創造劇場」では、「時間と空間と仲間」を提供しているんです。

例えばここに一枚のチラシがありますね。片方が表なら、もう片方が裏ですね。どちらも切り離せない。ここに二人の人がいて対立しているとしたら、 同じものを見ているようでも、裏と表、全く真逆のものを見て、喧嘩しているわけですよ。一人は字しか書いてないというし、一人はちゃんと写真もあるじゃな いというように。

でも、今、そこで向かい合っている二人を離れて見ていてニコニコ笑っている人は、そのどちら側も見えるからなんですよね。このように第三者的視点を持つとゆとりが出てきます。

つまり「両面を同時に見る」ということです。たいてい私達は自分の人生の片方からしか見えていないんです。



かつての私は、男みたいになりたいと思っていて、自分が女性であることを許していなかったんです。可愛い女の子が、「これやって~。これ持って~」って、女であることを使って、甘えることが嫌でした。

それは、自分が自分に女性性を許してなかったんだと気がつくと、自分の女性性も認めるようになって、やっぱり美しくするのはいいな~って想えるよ うになったし。かわいい子の甘え声にも腹が立たなくなったんです。人は、自分が自分に許していないことをすると、腹が立つんだ…と気がついたわけです。






人生って演劇みたいなものじゃないですか。シェークスピアは、「人生は舞台、人は皆役者」だと言っています。だいたい一人の人の人生ですくなくとも7役はこなすと言っているんですね。

自分の人生は、シナリオがない即興劇みたいなものでしょう? その自分の人生を楽しめないのは、「怖れ」があるからなんですよ。即興、つまり何が起こるか分からない、と思っている。





脳というのは、過去も現在も未来も区別できないといろんな人が言っていますよね。本当に、全くその通りなんです。






例えば、始まる前に輪になってみんなの顔を見てもらいます。全員の顔が見えますが、見えないものが一つあるんです。「それは何ですか?」と、問いかける。 「自分の顔」なんですよ。自分の事って本当に分からないんですよね。だから分かるために人と出逢うんです。様々な出逢い方を創り出して、実験して遊びましょう・・・ということなんです。






気づいて欲しい自然の法則とは。とてもシンプルなことばかりです。すべての事には両面があるとか、大切なのはそのバランスをどう取るかということみたいな。

バランスっていうのは、バランスを崩しちゃいけないと言っているのではなくて、「あっ、崩れてるな」って気づいたら、戻ると知ることなんです。だから、私達は気づけばいいので、いつまでも自分を責めて反省しなくてもいいし。ましてや人を責めなくてもいいんです。


たとえば、居眠りしていて、「あっ、居眠りしてた」って気づいた時は、もう起きていますよね。眠っていては気づけないでしょう。なのに、いつまでも、「どうして居眠りしちゃったんだろう」なんて考えたり責めたりしていたら「今」にいることができない、ずっとその居眠りを引きずっている訳じゃないですか。気づけばいいんです。気づいたらそれで、もう終わりなんです。



それと「最終的には、全部自分が決めるんだ」ということが分かっていない、できてこなかった人がとても多いです。そういうことを生きてこなかった方が、自分で決められるということを体感できる場所でもあります。



やりたいならYES、やりたくないならNOと選択することが、自分を大事にすること。また、やり慣れないことだけれどやってみようYES、という のも自分を大事にすることなんです。この二つの相反するように見えることのなかで、全部自分が「今、ここ」で決められるんだということを体験する意味はとても大きいと思いますね。


「私は、全てのことにYESと決めてます」という人がいますが、それはちょっと違うかなあ。
ほとんどの人は「いつもいい人でいよう」と決めてるから苦しい。
「人は、YESの時とNOの時があるものなんです」そんな、本当の自分の欲求、それを感じとって許す場所でもあります。ミニミニ体験コーナー。






だいたい日本人は怒りを抑圧している人が多いです。
お母さんを嫌いって言っちゃいけないって思っているから、「お母さんなんか嫌いよ~」って言ったとたん に、お母さんを愛していることを思い出します。全て表と裏でしょう。自分に裏を許していないの。裏を許していないから、表も見えない。



○ ○

(和みのヨーガ)

私達って、「襟が曲がっていますよ」って、フィードバックされると直すでしょう。全てフィードバックなんですよ。今の人達は、そのフィードバック機能がうまくいっていないんですね。

どうしてうまくいっていないかというと、私達の体って99.99%くらい、その全ての細胞が私達を幸せにしようって、バランスを取ろうとして動いているんですね、でも、左脳にあるピーナッツ大くらいのわずかな細胞が、「こうしちゃダメ、ああしちゃダメ」って言ってるんです。

私達現代人は今、このピーナッツに振り回されているんですよ。それで、とっても鈍感になってしまって、他の細胞のお話は何も聞いていないんです。フィードバックを受けていないんです。



「ここに捉われているのを止めて」って言うと、またそこに捉われるので、体からのメッセージを受けとるっていうこと、体をつないでいくっていうことをやります。すると、フィードバック機能が自然とできるので、ゆがんでいるものは元に戻るし、硬いものは柔らかくなります、体だけではなく心もです。


「フィードバック機能を回復させるのですね?」
そうです。そして、ほとんど全ては、ストレスからくる心の緊張が筋肉についているんですね。なので、筋肉をゆるめることによって、心の緊張を手放していきます。また、感情を手放す、トラウマ解放とか、悲しみのリリースとかもやります。


それが心理的なものであろうと、物理的なものであろうと、同じ原理なんです。その作業をやっているので、体が整わないはずがない。それを頭のてっぺんからつま先まで全部トータルにやるから、ものすごくパワフルです。例を挙げるときりがありませんが、若年性アルツハイマーの人は3か月で回復なさいました。だいたい、体の細胞は3か月ぐらいで入れ替わるんです。

筋無力症の人が、寝たきりになりそうなところから這い上がって、歩くようになられましたし、血液の難病奇病と言われて杖をついてやってきた人が、3か月もしないでダンスを踊って帰っていくようになられましたし。男性が苦手という方も、体が緩んで心が緩み、恋をなさってパートナーまでできてしまいました。

そして皆さんに共通なのは、あんまり自然に変わるので、病気だった、具合が悪かったことなんて忘れてしまっているんです。それが本当に変わるということなんです。






「ガンダーリさんの先生は誰ですか?」ってよく聞かれるんですけど、野口晴哉さん(野口整体の創始者)が、心の先生かなあと勝手に思っています。あの方は小学校しか出ていないの。犬を観察したり、人間観察をしたりして、すべては体験からいろんなことを発見していらしたんです。






生きてる智恵というのは、体験の中にのみあります。

それが、学問という知識になってくるとちょっと違ってくるかなあと思いますね。


元々、ヨーガというのは、哲学なんですね。

ヨーガという言葉には、「つなぐ」という意味があります。何をつなぐかというと、第七チャクラと第一チャクラが横隔膜で分断されているので、それをつなぐという意味と、私の中の心と体をつなぐ、私とあなたをつなぐ、そして私と社会をつなぐ、つまり社会に貢献できるための精神性を育てるのがヨーガなんですよ。そこから始まったんです。


そのために体を整えた方が、早いということで、動物のポーズから学びを得てアーサナというものをやっています。それは呼吸を整えエネルギーを通すためのポーズで、最終的には瞑想につなげていくためのものなんです。


インド人というのは怠け者なんだそうです。だから、ビシッと通す必要があって、あのポーズが必要なのだという方がいますが。でも、日本人はただでさえも真面目、そして丹田が下に来ていて、手足が短い、すでに落ち着く姿勢になっている。だから、インド人にとって必要なポーズは日本人にはいりません、というか合わないものが多いです。


今、インドの人も怒っていると聞いていますが、日本では「ヨガ」っていう名で、体を壊すような無茶なポーズを訓練なしにするところがあります。危険なポーズを無理してファッションでやって、そしてみんな体を壊している訳ですよ。



やっていることよりやっている人の意識が大切なんだと思います。
この「和みのヨーガ」は心を大切にしています。なぜならば、社会貢献を目指しているから。まずは自分が幸せになること。自分が幸せになると、目の前の人が幸せになる。自分の中にある「和み遺伝子」にスイッチが入ると、それは人に移るんです。



なぜならば、私たちはこの空気でつながっているからです。私達は、実は誰とも離れていないんですよ。私達が嫌なことを考えて怒ったら、その緊張はみんなに 伝わります。そして私達が緩めば、その緩みでスイッチが入った「和みの遺伝子」はフワァーってみんなに伝わるんです。ことばを変えると自律神経のバランスが整っている人がいると、まわりも整ってくるともいえます。



この世界は自分が作っているんですよ。
私達は70億分の1の人間ではなくて、自分が世界を作っているんだという自覚を持つと世界の見え方が変わってきます。自分とつながっていないものはない。最近すごくそう感じます。



昔は、人を「もっと何とかしたい」って思ったけど、今では人はそれでいいんだと思います。
自分が気づけば、もう終わっている。自分が気づくだけで周りが変化しているんです。





現代人は、みんな気づいている人も気づいていない人も、戦闘態勢にいます、そのアドレナリン全開っていうのをOFFにする機会なんです。そのOFFを体が 一度覚えたら、それができるようになる。それは、体験して体で覚えないとできないんです。体を緩めることができない人が沢山います。






私達は嫌なことがあると、自分を守ろうとしてチャクラを閉じて、心臓の周りの筋肉も自分を守ろうとして、ギューっと縮こまるんですよ。心臓の周りに緊張がつくんですね。

最初は、自分を守るためのはずだったものが、何かをしようとすると、心臓がバクバクいって調子が悪くなってしまう。でも、それがなぜなのか本人は分からない。遠い昔の記憶が今もなお体をコントロールしているなんて思いもしないからです。それがすべての筋肉を緩めることで、全部、ブワーって解除され るんです。






そうなんです。たとえば、鬱の方は、愛と創造性が溢れているんですね、それが出せないので鬱になっているんです。そういう時に人に手当てをすると、愛が流れ出すんです。そうするとブワーっと回復しますね。鬱の人はね、愛を出したいんです。



元々、女性はものすごく愛に溢れていて、男の人は女性から愛をもらわないと生きていけない
ようにできているのね。女性は太陽からもエネルギーをもらっている。女性は男の人に触れるだけで、流れが良くなります。


それが今は触れることがなくなって、女性は愛が有り余ってイライラしていて、男性はうつうつしている、そんな感じなんですよ。





この皮膚の発生は外肺葉で、脳と同じものなんですよ。だから、皮膚をなでたりするのは、脳をマッサージしているようなものなんです。皮膚を撫でると疲れている脳を優しくマッサージしているようなものなんです。





だいたい、イライラしている人は、「どうしてあの人はそれをしないの? 私はこんなに人のことを先にしているのに!」ってなっているんです。それがダメでしょうってことです(笑)。

そうじゃなくて、あなたが自分のことを大事にすれば、人もあなたを大切にしてくれるようになります。






結局、行き着いたところは、日本にすべてあったんです。
それは、ことわざだったり、子ども達の遊びだったり。たとえば、ソロワークでやっているアッカンベーとか。それはとっても必要なことだから昔の子ども達はやっていたんですね。


昔は、日本の子どもは賢かったんですよ。アッカンベーしたり、にらめっこしたり、足ではさみっこしたり、手遊びしたり、頭が良くなる遊びばかりあったの。それをやっていたらストレスなんてないんですよ。今の子ども達のように多動になって自分を守る必要もない。



でも、今はやらなくなったからストレスばかり。ゲームで親指ばかり使うと、ものすごく膨大なエゴを育ててしまうんですよ。指って全部使った方がいいんです。






また、魂がワクワクしてない時は違うんです。義務になっている。どんなに良いことも、義務になっては、それは偽善になっちゃうし、自分がつまらない。自分がつまらないことは、人はもっとつまらないと思うんです。






頑張るってすごくいいことだと思うんです。好きだったらガンガンやればいいと思うの。でも過ぎないで、頑張ったら休むということですね。

頑張ったからこそ、休む大切さが分かる。頑張ったからこそ、ゆるむ大切さが分かるんだと思うんですね。ゴムは、伸びっぱなしだったらボソボソになるけど、伸びてもいい、伸びなきゃ能力も伸びない、でも、伸びたら縮む、しっかりゆるめて休んで、バランスを取る。

戻せるんだって分かっていたら、どんなにでも頑張れるでしょう。「頑張る」ことが、強迫観念じゃなくて、楽しいからやる。それは、もしかしたら、頑張るとは言わないかもしれない。

「我を張る」ガンバルじゃなくて、「願い」ね。みんなが幸せになるといいな~とか、楽しくなるといいな~とか、「願いを張って」、ガンをハルようにやると面白いかなと思います。




○ ○ ○


インタビュー全文はこちら

和みのヨーガクラス


思うところがあって、
自主開催の定期クラスは夏で終わりにしたのですが、
その前にいただいたお話で、10月から始まった
千葉市主催の高齢者福祉講座(60才以上の方対象)の
ヨーガ講座全8回のクラスを受け持ち、先週金曜日ぶじ全クラス終了することが
できました。

和みのヨーガは、いわゆるヨガというよりも‘手当法’、‘簡単な整体法’で
むずかしいポーズなどは一切とらない。
それなのに、全身を緩めて、驚くほど難病奇病などと言われる病にも
治癒力が働くのでまさに高齢者向け!
1講座2時間しかないので、毎回テーマを決めて自分なりに楽しみながら
クラスを行うことができました。


でも・・・やっぱり定期クラスを終わりにした一番の理由、
じぶんの未熟さ、至らなさが回を追うごとにまた自分を追い詰めていき・・・

人前に立って何かやる根本的な人としての未熟さ

インストラクターとしての至らなさ


和みのヨーガのインストラクターは先生ではありません、と言いますが
講師としてお呼ばれされている以上、その発言は許されません。

ガンダーリ先生が「唯一やってはいけないこと」という
「自分を責めること」をまた懲りもせず?!講座の途中から
気づけば始めていました。


でもあるとき、結局「自分ができることしかできない」と割り切ったら
気持ちに踏ん切りもついて、前向きにクラスに参加した日に、めずらしく
最後に時間が余ったので初めて皆さんからフィードバックをいただくことができました。


すると人数はだいぶ減ってしまっていましたが、毎回参加して下さる方は、
この和みのヨーガをすごく気に入って下さっていることに気づき・・・・・
もう感謝の気持ちがいっぱいで、できないこと出来ていないことばかりに目を向けていた自分に気づくことができました。


今まで本当に頑張ってきたお母さん達ですから、手当自体もいいけれど
「がんばらない はりきらない くらべない」というコンセプトや私の色んな話に
すごく癒されましたと言ってくれたり。


手当をしてみて、自分が冷え性だと初めて気づくことができて、
湯たんぽやしょうが湯を取り入れるように
なったらずいぶん体が変わりましたと言ってくれたり。


膝裏が痛くて足が曲げられなくなってしまったけれど、その部分だけが
問題なんじゃないとわかったから、病院に行って薬をもらうんじゃなくて、
ゆっくり全身を調整していこうと思うようになりました、と言ってくれたり。


リンパとか聞いても今までは信じてなかったけれど、実際に手当てをして
その循環を感じることができたので、今ではすごく気にして手当していますと
おっしゃってくれたり。


フィードバックをいただくことのありがたさをしみじみ感じました。




ソロワークはいいのに、知らない人に身体を触られるペアワークが嫌!
という人が現れたりして、すごく戸惑いましたが、「そういう人もいるんだなぁ」と
あらためて再認識できたり。


ペアワークの大切さなどを伝えてみたものの、やはりソロワークの方を望む人が
多かったので、そこはあえてこだわらず、その後はソロ中心にしたり。





なぜかわからないけど、毎回クラスの朝は「今年一番の冷え込み」なんて日も
多く、小鳥の心臓の私(単なる小心者!)は「今回は来てくれる方はいるかしら・・・・」と
毎回前の晩はちょっと不安になったりして(笑)

最終回も前の晩に雪が降り、とっても寒かったのですがそれでも11名の方が
参加してくださいました。
そのうちの一人は、捻挫をしてクラスに参加できないのに、わざわざ挨拶だけをしに歩いて来てくださいました。




「もっと続けたかった」と参加者の方の多くが言ってくださり・・・・・・・・、
産後落ち着いたら同好会を立ち上げよう!と言って下さる方まで現れました。

みなさん本当に和みのヨーガを気に入ってくださったようです。

ヨガは色々やったことあるけど、先生のヨガは本当にいい!素晴らしい!と
みなさん口々に言ってくださいました。
本当に思ってもみなかったことなので、ありがたすぎてどうしたらよいかわからないほどです。






自然農もそうだし、和みのヨーガもそうなのですが、振り返って見れば
私は農業をやりたいというより、ヨガの講師になりたい、健康になりたい、というより
ただただ「自然の偉大さに勝るものはない」という確信のもとに
「自然に沿って、自然にひれ伏して生きたい」と思ったら、なんとなく導かれるように
そういうことをするようになったのでした。

そうして、ヤサグレ者だった私が(笑)、気づけばこんな素晴らしい体験を
させていただけるようになり・・・・・・(T T)


この世で一番治りずらい病気は「傲慢病」だそうです。

私もご多分にもれず、生まれた時から傲慢病(笑)


でも自然の前でだけは、心から謙虚になれる。
ちっぽけなエゴなんて、吹き飛んでしまうほど、自然は偉大すぎるから。


謙虚になれることって、じつはすっごくきもちいい。

きもちいいから、だから自然が好き(笑)







講座に参加してくれたお母さんたちは、ずっと「頑張ってがんばって」
と言われながら育ち、頑張ることが当たり前だと思っていた方たちばかり。

「自分に厳しく、他人に優しく」と自分に厳しくしなくてはイケナイと
思い込まされて・・・・・


でも自分が自分に許していない痛みを、他人が痛がってたら優しくできるわけがない
ですよねって(笑)


最新医学、科学万能時代を生き抜き、医者のいうことが絶対、薬はありがたいもの
と思って生きてきた沢山の母たち。


私のいう話に反発を覚えた方も沢山いただろうなと思います。


でも「いいという人が50人いれば、嫌だという人が50人いる」
とガンダーリ先生に言われたように、どっちに目を向けるかは自分次第。



「先生のこと大好き。自分の娘より若いけど、なんかお母さんみたいに感じたりもしたんです。定年した夫が家にずっといるのでイライラしがちだったんですけど、ここにくると
すごく優しい気持ちになって帰れて、本当によかった。」と最後に言ってくださった方。

八千草薫さんのようなお上品なご婦人が涙まで浮かべて「必ず戻ってきてくださいね」と仰ってくださり・・・・。



またいつか必ず、和みのヨーガクラスを復活させたい!と私の心も決まりました。

ガンダーリ先生は「勉強しなくていいですよ~」というけれど、
私はやっぱりもっともっと色んなことを勉強してみたいなと思っています。





そしてあらためて、
自然農では野菜を通して、和みのヨーガでは自分たちの身体を通して、
少しでも多くの人たちと自然を感じあえたら。

それが私の切なる願いだと、想いました。


薬に頼ることなく、バセドウ病という病を軽快させている姉のブログ
よかったらご覧ください。



あと和みのヨーガを始めて何より嬉しいのが、母が本当に気に入ってくれていること。
せっせと毎日ソロワークして、体調がすこぶるいいと喜んでくれてる。
義理の母がペアワークをするとすごく喜んでくれる。
気づくと自分で体を触るようになって、以前よりずっと不調がなくなったと
言ってくれること。


何一つ親孝行できない私ですが、ほんの少しでも喜んでもらえることがあることに
わたしもとても救われる。


そうして今回はたくさんの可愛い母たちに喜んでもらえて、母たちを癒してくれた
和みのヨーガに感謝感謝。

どうもありがとうございました


またいつかお会いしましょう!!

2012年2月16日木曜日

チュンコ と チュンオ



まいとし冬になると、我が家のベランダにやってくる
チュンコとチュンオ。

今年も来てます(写真は2,3年前のだけど)


こどもの頃から小鳥好きのワタクシ。(態度はデカくても小鳥の心臓なの。ぺろ)
佐倉に越してきて、近所で目にするメジロちゃんにもうメロメロになってしまい、
どうにか間近で見れないかと思って、ベランダに古米を置いといたら
きたのがチュンコとチュンオ。

雀かぁ、と思ったけど(笑)、これがもう十分に可愛い。


見た目でオスとメスなんてわからないけど、明らかに図々しく、
ぜんぜんビビってないのがメスだと思われ、
ビクビク2,3粒食べては、きゃーーーーっと逃げていくのが
オスと思われ、勝手に命名。

雀って一度伴侶を見つけると、一生ツガイで過ごすんですって。

でもオスはたまにメスの目を盗んでウワキをしたりするらしい(笑)


ほんとは触ってみたいけど、鳥籠に入れたりして飼うのはかわいそうだから
こうして窓越しに見るだけで満足。


朝になると「チュン!」と元気に鳴いて、ご飯をおねだりするのも
またいとし。
鳴かずに、チョコンとベランダにとまっていて、じーーっと待っている姿も
またいとし。

晴れた日は、太陽の光で体中の羽毛がピカーーっと光っててほんとキレイ。

2,3度、家に入って来ちゃったときは驚いたよ。


ほんとは餌付けなんてしちゃ、自然じゃないからよくないんだけど、、、、



でも春になると自然と来なくなって、自分たちでちゃんと餌を探しに
行ってるみたい。

やっぱり古米なんかより、旬のものが美味しいんだろうな。


チュンコとチュンオも、春の訪れが待ち遠しいようです。

2012年2月11日土曜日

アフリカのこどもはたくましー

ひょんなことからカレンダーを作ることになって、
こうしてトイレに飾っていたんですが、
 


1~2月はことしの年賀状にもしたお気に入りの「んばらせわー(幸せ~)」と
ドゥンドゥンバ踊るサンバララの祭りでのトーキングドラマー。

「我ながらいい写真やわぁ」と毎回見ていたのですが、ある日、ふと気づいたら、
すごいモノを発見!
画面左下のほうに・・・・・


「あ~あっだぐよ。疲れちまったから休むべやぁ」とでも言うような
まるで農家の婆さんの貫禄のチビッコ(推定2才半?)・・・・(゜ロ゜)

何度も見ている写真だと思っていただけに、衝撃(笑)
将来君とも爆笑。

この表情といい、座り方といい、バツグンです。

元写真がコレ。(左下)

いやー気付かなかったわ(笑)





しかしアフリカの村の子供たちは逞しかったですね。

こうして幼いころから赤ちゃんをおぶって子守する姿は当然。


川の水を汲んで毎朝運ぶのもあたりまえ。



この子は夕飯の手伝いで、鶏の肝を手でちぎってました。


子供たちはとにかく凄く可愛いけれど、顔に甘えがナイ。
甘ったれてなくて、みんないっちょ前に自立したような
すごくいい顔をしてる。

それでいて、やはり大人に対してはちゃんと敬意を示していて
なんていうか、すっごく自然で気持ちいい空気があった。


便利な生活がいかに人をダメにというか不自然にしていくのか、
日本人の子供たち(今の子供たちだけでなく、戦後苦労のしらない
私たちも含め)がいかにスポイルされてるのか、
あらためてマザマザと感じました。




サンバララ村に行くと、とにかく子供たちがウジャウジャいるんですが(笑)
日本人が珍しいらしく、一つの手に3人くらいの子供たちが手をつなぎに来る。
たまに手の争奪になって、喧嘩してるし(笑)



この子みたいに、私たちの荷物持ちをしたがる子がいて、あっつい中
大汗かいて荷物を持ってくれる。

なんとなく今までの海外経験からいくと、最後に金銭ねだられるのか~?!と
おもいきや、そんなこともなく、とりあえず「外国人の役に立てた」ということが
彼らの満足らしい(笑)


その時期マサキ君は夏になると毎年おこる不思議な現象で、手のひらの皮が剥けまくって
(脱皮?!)ひどい状態だったんだけど、子供たちはそれを見ても
「どうしたの?だいじょうぶ?」と心配してくれるけど、嫌がりもせず
マサキ君の手を握っていた。

私はアトピーが酷いとき、学童の子供たちに「ブツブツ気持ちワルーい」と言われたり、
あからさまにそうは言わないけど、触れたくないような素振りをされていたので
子供とはそういうもんかと思ってたのに、またまた驚いてしまった。


湿疹や他にも身体の異常は、薬があれば「無いもの」とできるから
表面上はキレイにできてそれが良しとされているけど、
それによって失ってしまうものの大きさということも・・・・・


同じ時期(別でだけど)ギニアに行っていた、女ジャンベフォラ・まっちゃんの
ブログも笑えた~(ので勝手に紹介)
http://matsunagamika.blog25.fc2.com/blog-entry-69.html


「かわいい子には旅をさせよ」ってほんとその通り!

子どもが可愛かったらあえて、楽をさせない!
貧乏でOK!(笑)

とまた勝手な解釈で自分を納得させたりして(笑)



カレンダーのおかげでか、アフリカに行った時のこと(もう1年前になっちゃう)、
いろいろ回想しています。

アフリカと日本を比較すること自体、無理があるのは当たり前だけど
私はやはりアフリカ的なものにすごく惹かれる。


これからも勝手な想いを綴ります。

2012年2月9日木曜日

バランフォ~

妊娠してからもおかげさまで元気に太鼓を叩いていますが、
ギニアでほんのちょっとだけレッスンを受けたバラフォン。
(バラフォンという木からできた鍵盤と、共鳴器はひょうたんのアフリカ製木琴)

マサキ君がなんだか急にすんごいハマリだして、
家ではすっかりバランフォ~


写真はギニア到着後、間もない頃の肥えた将来君(この後激やせ・笑)と、まだ色っチロイみんな。


可愛いバラフォンの音がなんだか妊婦にすごく気持ちよくって、
わたしも一緒に練習してて、来月の老人ホームでのライブでは、ソンソルネという
曲でリーダーのフーレ(アフリカ製フルート)と共にバラフォンでびゅー♪


練習がんばらねば。


将来君が見つけたバラフォンのYoutube。
まずはこちら。


曲はランバン。

この男の子のまだちょっと幼さの残る歌声がまたすごく良くて、
その声と見事に調和している小鳥の歌声のようなバラフォンの音色が
美しすぎ。




そして傑作のこちら。
曲はソンソルネ。

バラフォンは高度すぎてムズカシーけど(けどマサキ君、この中からいくつか
アコンパフレーズ解読!)、なんつっても映像がいい!

いかにも普通の家の前で撮ってて、ちびっことかアヒルとか出てきちゃうし。
しかもこのオチビちゃんが可愛すぎる~~~~~~~~~~~~の。

ぜひ見てね


胎教にバラフォン、最高です。


でもやっぱりなぜか子ども向けの歌とか聴きたくなるんですねぇ。
ジブリシリーズとか。
トットロ♪トトロ~♪とか歌いたくなる今日このごろ(笑)

UAが出してる「うたううあ」とか「おうた」というアルバムもいい(笑)


妊娠前の私だったら絶対聴けないジャンルだけど、、、、
いまや楽しくなっちゃう、赤ちゃんパワーはすごいです。

日本人の赤ちゃんだからやっぱりドゥンドゥンバより、トトロかな?(笑)

でもやっぱりトトロがいるような森の隣に住みたいわ。
子どもの時にしか訪れない不思議な出会い、うちのコにもチャンスをあげたい♪

2012年2月3日金曜日

ごま

秋に収穫しっぱなしで、放置していた黒ゴマをようやく選別しました。



実を落としたままの状態だと、ゴミやら未熟実やらいろいろ混じっているので
まずは水に入れて、浮いたゴミと未熟実を捨て、沈んだ完熟実を選り分け・・・・・・


をひたすら繰り返し、最後どうしても取れないゴミは手でチビチビ選ける。


いやはや手間ですわ。


ゴマちゃん。


そして結局、食べれる実はこれだけ~


約100g・・・・・・
少な。

今回、初挑戦だったこともあり、だいぶ収穫時期を逸して実を落としてしまったみたい。

作るのは簡単だけど、収穫してから食べるまで、手間はかかります。


でもやっぱり、煎り立てはそれはまぁ香りがよくて~~
ごま塩にしてご飯にかければ、おいしいわぁ(#^.^#)


と、この美味しさをまた味わいたくて、来年はもっと頑張るぞ♪となります。


こんな小さな方ですが、栄養素はすんごいんです。

○○
カルシウム、マグネシウム、鉄、リン、亜鉛等のミネラルが多く含まれ、骨粗しょう症の予防や貧血の改善に効果がある。(カルシウムは牛乳の11倍!)
たんぱく質、食物繊維、ナイアシン、ビタミンA、B1、B2、B6、Eに葉酸(妊婦に必須)が豊富に含まれている。
ゴマには抗酸化物質として働くリグナンが含まれており、ゴマの代表的なリグナンがセサミンである。ゴマは抗酸化作用を持つ(若さの秘訣♪)。
活性酸素が体内で生成されるのを抑え、肝臓機能を強化し細胞の老化やガン化を抑制する作用がある。脂質はオレイン酸、リノール酸が80%を占め、たんぱく質も豊富に含み、コレステロール抑制にも効果もある。ウィキペディアより
○○




こんな可愛いゴマのお花。
夏にまた会おうね。

2012年2月2日木曜日

おやしらず

月曜日、ついに親知らずを抜きました。


妊娠前から左下の親知らずが虫歯っぽいな~とは思っていたけど、
妊娠したらまんまと悪化して、堪えがたい激痛に襲われるようになったのが
12月くらい。

「んがーーーー」と吠えたくなるような、すっごい痛みなんだけど、
なんせ安定期に入るまでは麻酔治療ができないもので、ずっと待っていました。


でも不思議なことに、それだけ酷い虫歯でも、痛いときと全然痛くないときが
あるんですよね。
やっぱり疲れたりして免疫が下がってる時に、ものすごく痛む。
痛いときはお灸したり、合谷のツボを押したりだましだまししていたけれど
もう限界じゃーとなり。


コワイよ~と思いながら歯医者に行ったら、
あっさり「じゃ抜こうか」と言われ、
麻酔して、2,3分クイクイってやったら「もう抜けたよ~」って。

えーー全然痛くない!

麻酔も痛くなかったし、抜いたのもわからなかったくらいだし、
妊娠中だから痛み止めも抗生物質も出されなかったけど、
1日たっても全然へいき。


こんなら早く抜けばよかったよ、、、、、、、


しかし先生の腕も確かであります。


バイクで自爆して前歯を折ったとき(笑)に、紹介してもらった
都賀の伊藤歯科。
ぜんぜん最先端な感じのしない、いたってフツーの町の歯医者だけど
腕前は間違いありません。


歯医者選びはほんとうに大切。


暇な歯医者はやたら治療したがるけど、伊藤先生は「虫歯は死ぬわけじゃないし、
患者さんの意向が第一ですよ~」って、それじゃなくても忙しいから
無理に治療を勧めず、ゆるゆるな感じがいい(笑)


親知らずって、私勘違いして、「親の心子知らず」の略で
親不孝ものに生えるのかと思ってました(笑)

由来は昔だったらもう親元を離れるくらいの年になったら生えるから、
親知らず、というそう。


しかも現代人は進化の過程でどんどん生えなくなっているのに、
縄文人とかアボリジニは生える確立が高かったらしい。


わたしはキレーに4本生えてる・・・・
原始人か?!


そしてアフリカ人とかスキッパが多いけど、私もなんか
スキッパになってきたら、クレアさんに「野性的なんじゃない?」
とか言われた(笑)


まぁどうでもいい話ですが、妊娠するとホルモンのバランスで
虫歯や歯周病になりやすいそうなので、
妊娠を望んでいる女性は、早めの歯の治療をしておくことをつくづく
オススメしますm(_ _)m



そして先週くらいから、ベベちゃんの胎動を感じるようになりました。

まだまだちっちゃい(13~4cmくらい)から、キュルって微かに動く感じ。
小魚がチョロリんって動くような感じだけど、間違いなく胎動。


そんなちっちゃいのに指しゃぶりをしたり、頭をかいたり(!)してるんだって。
キックやジャンプ、ターンとかして動き回ってるらしい。
カワユイ・・・・・・


歯を抜いた後は、さすがに私の緊張ホルモンに驚いたのか
激しく動いていたので、「大丈夫だよ~」と話しかけました。


親知らず。

私の母も姉を妊娠中に4本全部抜いたそうです。


なんか勝手な解釈だけど・・・・、
親の心をまったく考えないときに生えてきて、
親の心をわかるようになるといらなくなる。

そんな感じなのかな~ってなんとなく思ったりしたのでした。