同じ顔した肉食獣が2匹いるわが家は、いずれ肉も自給せねば・・・・
ということで、
卵用にいただいたコッコを一羽、庭で絞めていただきました。
ここでまた登場いただいたのが、我らが師匠ソロさん!
さすが、‘絞めて食べる’というのが日常として育ったソロさん、
神にお礼を告げると、
あっという間に命を絶ち、毛をむしって丸裸にしたら
頭から内臓から足まで、キレーに無駄なく‘たべもの’に
してくれました。
なんというか、ほんとシンプル。
過剰な懺悔や謝罪の表明もなく、センチメンタルもなく、
もちろん残酷さもなく、ただただ淡々とおこなうソロさんに
すっかり私は面食らいました。
この地に足のついた人と、ワナワナしちゃってるワタシという人は、
なんだか全然違うわけだ・・・とつくづく感じて。
やっぱりいろんな意味で師匠です、ソロさん。
そして肝心のお肉!
まず美しいーと思わず言ってしまうほど、内蔵もみんなキラキラ輝いていて驚き。
エネルギー値も半端なし!少量でもう満腹。
食べる、というのは胃袋にものを入れることじゃなく、
その生きていた命のエネルギーをまるごと頂くことなんだ。
肉の量でも、カロリー値でも、もちろんタンパク質の量でもなく・・・
私たちニンゲンも、単なる肉の塊でもないし、ココロだけでもないし、
その両方と+見えない‘気’とか‘霊性’でできてる。
野菜も気をもってるし、お肉となった動物たちももちろん気があり、
気のない食べ物に、似た‘何か’ばっかりを食べてると病気になるのかも、
というか満たされないで、甘いものに走ったり~お酒をがぶ飲みしたり~、
はたまたなんか吸ってみたり~、もしくはセンチメンタルに走ったりするのかも・・・・
などなどいろんなことを考えさせられました。
ところで森は、最初から一部始終みてました。
その日はさすがにショックを受けたようでしたが、
いつもはみることはないけれど、お肉はみんなああして、
どこかのコッコやどこかの豚さんが命をくれているんだよ、
と説明してあげると、そうか・・・・・と思ったようでした。
そして2日後に食べ残したお肉を食べたら「おいしい、おいしい」といい、
大声で「コッコありがとーーー!」と叫んでおりました。
肉を食べる、ということはこういうことだ!
とわかったらしく、キリンをみてもゾウをみても「食べれる?」と聞いてくるのは
ちと困ります。
そのうちウコッケイをツガイで数羽いただける事になっていて、
絞めて食べるのを日常にしようとしている我が家の父ちゃん。
はりきって鳥小屋を作りましたが、さてはてどうなることやら・・・・
私も菜食ではないので、いずれ鶏一羽くらい、朝飯前に絞めれるようにならねば、、、、、
(ダメ?・・・かな)とまだまだ弱腰なヘタレ母ちゃんです。
ソロさんありがとうございました。
神に感謝を告げます |
息絶えたら、お湯に入れると毛が楽に取れます |
首を取ったら切り分けます |
焼き鳥屋さん開店~ |
腸の中までキレイに掃除しました |
大好きなソロさん |
そばにいれるのがうれしくてたまらない |
こんな顔をして写真をとれるのは珍しい!! |
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